土浦の魅力の復活(2)土浦城の復元
土浦城は平城であり、総構の城である。 もともと湿地の上に築城したので、その地の利を生かしているのが特徴で、幾重にも濠を巡らし、その中を水路で縦横に繋ぎ、防御を固めた水城であった。 濠は城下にも二重三重に巡らされており、霞ケ浦に面したところ以外には土塁が築かれ、その土塁の外側には湖沼と湿地が広がり、城と城下は一面に広がる水の中に在ったそうである。 そのような立地条件から 「攻めるにが難く守るに易い城」 と言われていたという。
残念ながら1855年の大地震と大風雨で城内外郭が破損し、1884年の火災でほとんどが焼失してしまった。
復元にあたっては、観光客の誘致が最重要な課題であるので、古図や古写真などの資料をもとに、現存する東西櫓や櫓門との時代的な整合のとれることは重要だが、可能な限り忠実な復元に努め、バリアフリー対応や耐震性・安全性確保などのために、コンクリート基礎を用いたり、耐火ボードやスプリンクラーなど、必要最低限の設備などを設置することが必要だろう。
木組みには、伝統的な木造軸組工法を採用し、柱や梁の接合には釘を使用しないことが原則だ。
内堀の石垣をどう修復するかは難しいところだ。 石垣や濠が残っている姿というのは、風格を感じるもので、石垣の築き方ひとつでほかの城と比べる興味が湧く。 そこでどんなドラマが繰り広げられたのか、想像をふくらませ、戦国時代に思いをはせることになるからだ。
人は城や城跡などの馴染みの土地を久しぶりに訪ねた時など、道路や町並みは変わり果てていても、昔ながらのたたずまいに触れて心の落ち着きを取り戻すものだ。
城の復元や城を核とした街おこしは、中心市街地の活性化に有力な切り札になろう。
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