脱原発は無責任だ(1)

今回の衆議院選において、各党の公約で目につくのが原発問題である。 「脱原発」「卒原発」と国民の判断を、その方向にリードしているかのようなスローガンが、まるで乱舞しているような錯覚を覚える。 言葉遊びに近いスローガンではなく、的確な文脈と論旨を備えた言葉で政策を語ってもらいたいと思う。
仮に、原発をやめて廃炉にするとしても、その道程のコントロールは極めて困難であると、専門家は口をそろえて言っている。 それなのに「脱、卒、即時原発」を唱える人たちは、廃炉に至る危険をコントロールする、という発想すら投げ捨ててしまっているように見える。 
一橋大の橘川武郎教授は「シナリオとしてゼロだけ言っても意味がない。 現実を踏まえて建設的な施策を打たなければならない」と述べている。 
エネルギー自給率が、わずか4パーセントの我が国が原発を捨て去ったとしたら、全く脆弱なエネルギー構造しか残っていない事になる。 このような状況は、なんとしても避けなければなるまい。
代替電源候補の再生可能エネルギーでは、100万キロワットの原発1基を太陽光発電で賄うには、東京の山手線の内側と同じ面積が必要と試算されているそうだ。 専門家の話によると「再生可能エネルギーは経済性の問題、出力の不安定さ、地理的制約などから、当分基幹エネルギーになり得ない」と指摘している。
仮に、原発に代わる分を火力発電に頼るとしても、燃料の輸入問題が控えている。燃料輸入額は、前年より4兆4千億も増えて、21兆8千億に達しているそうである。 燃料費の増加は電気代を押し上げ、企業や家計を圧迫する。 コスト増で企業の海外脱出が加速され、その結果国内の雇用や賃金が失われる。 CO2問題もある。 
政府も国民も、感情的な原発不要論から一刻も早く抜け脱さないと、やがて、国の力は著しく低下して行き、取り返しがつかないことになってしまう。
どうも日本人は、何かあると一気にその方向にみんなで走る傾向があるが、科学を人類にどう役立たせるかの日本人が最も得意とする発想力を発揮して、この難関を乗り越えなければならないと思う。 自他共に認める世界最高の原発技術力を持つ我が国が、原発の安全性と信頼を取り戻し、安全な原発への建て替えを進め世界に貢献する、この選択肢を推進するのが本筋ではないのか。 原発ゼロを主張する政治家は、国家国民のことよりも、自分の選挙しか考えていないと云う気がする。

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