礼教(儒教的思考)

 韓国の李明博大統領の非礼は目に余る。 韓国が不法占拠している竹島に足を踏み入れる無法を敢えて犯し、韓国側が天皇陛下の訪韓を希望しておきながら、訪韓するなら謝罪せよ、というに至っては気が狂ったとしか言いようがない。  
大統領就任時には、「日韓は未来志向で。謝罪や反省は求めない」と言っておきながら、唐突に謝罪を持ち出し、反日感情を自らの人気回復に利用するというのは、指導者としてはいささかお粗末に過ぎる。
最も民主党は、自民党政権時代の竹島の「不法占拠」という表現をいわれもなく引っ込め、確たる歴史認識もなく文化財を返還するなど、定見のない融和外交を行ってきたのが引き金になったということだ。
韓国は儒教の国である。 礼教(儒教的思考)とはつまり形式のことで、この形式がいかに煩瑣であれ、これを命がけで守ってこそ、人間と社会が成立するというのが孔子の考え方である。逆にいえば儒教国家というものは、自然のままの人間というものを認めない。人間は秩序原理でもって飼い馴らしてはじめて人間になる。 そうなっている。
たとえば野馬は馬ではなく、それをとらえてきて一室の囲いの中に入れ、非自然的な調教法で順化させてはじめて馬になる。
人間も同じだという思想である。
国家間の親書を封も切らずにつき返したり、自国の国会議員に日本の国際社会での影響力は、昔と同じではないからと述べてみたり、どう見たって儒教原理から大きく外れている。
そうゆう意味では日本人の方が、はるかに儒教的である。つい先日(26日)テレビ中継している女子ゴルフを見ていたら、優勝争いをしている選手たち、7人中5人が韓国人である。 数千人いる観客はほとんどが日本人であるが、ナイスショットをした韓国の選手にも惜しみない拍手を送っている。 決して日本の選手とわけ隔てをしていない。 韓国の選手が上位を独占して、多額の賞金を国に持ち帰ったが誰も異議を唱えない。 これが大人の対応であり、国際人としてもマナーであろう。
儒教国家の大統領が礼教に背いて、いったい国民はどうなるというのか。