続・肉体の凋落

 足の痺れと左手首が依然として思うようにいかない。 明らかに年をとったということなのだろうと思う。 今まではそれを認めたくないために、多少の疲れを感じるようなことがあっても、自分で自分に適当な言い訳をしてみたり、自分なりの理屈を構えて、それを忌避したり拒否したりしようとしていたが、しかし、結局はそれを受け入れざるを得ないということを、認めざるを得なくなった。
そんなとき、地域の有志で年2回楽しんでいるゴルフのコンペの時期がやってきた。 さてどうしたものかと困り切っていたのだが、何とか出場しなければせっかく、地域に芽生えてきたコミニュケーションの芽を摘み取ってしまいかねない。
痛くても痺れていても出場しようと決めた。 
たかが、ゴルフで比べるのは大袈裟すぎる話だが、織田信長が桶狭間決戦に向かう時に舞った「敦盛」の一節に「人間50年、下天の内をくらぶれば」が有名であるが、これに続く「これぞ菩薩の種ならむ、これぞ菩薩の種なる」が重要だと思っている。 人生には当然、限りがある。私たちの人生には限りがあるが故にこそ尊く、価値があるのだの意味と解釈しているのだが、生あるものは必ず滅するだという存在の公理をわきまえていればこそ、実は、懸命に生きるという姿勢につながると思っている。
今、元気のないこの日本をどう回復させ、かっての栄光を取り戻すことができるかというと、現代文明のもろもろの効用のおかげで、日本人の平均寿命が延び、それに加えて健康な老年が普通のこととなった。 65歳以上の年代を老年と呼ぶそうだが、70歳などは昔は古希、古来稀なる高齢ということだったが、今は珍しくも何ともない。 この日本で顕著なことは、65歳以上の年配者こそが、可処分所得と時間を豊富に使える世代だということである。 てっとり早い話が、この世代につまり金も時間も豊富に使える贅沢が可能な世代に、これからの生涯を人生そのものの仕上げの一番成熟充実した時期と捉えてもらって、今の日本のために何をなすべきかを、考えて実行してもらったらいいと日ごろから考えている。 そのための時間も、財政的な余裕もあるのだから。 その世代に属する私は、そうゆう意味合いからも、少々の痛みなどにはめげずに、日本のためにゴルフに行くと決心したのである。