やっぱり原発しかない

どんな能力もそれをわが子に伝えることは出来ない。恐縮だが長嶋茂雄の子一茂は、長嶋茂雄が到達したところから出発は出来ない。一茂の野球人生からそれははっきり証明されている。同じくイチローの子も出来ない。だがしかし、物なら残すことが出来る。例えばこうゆうことだ。鉄道は蒸気機関車から電車、さらに改良を加えて新幹線となって我々に便利さを提供してくれる。テレビもモノクロからカラーへ、カラーからハイビジョン、そして今月からいよいよ地デジへと変わる。電力発電も、水力や火力だけでは安定供給が出来ない結果原発となってきた。そして原発は今回の事故で、原発は危険だからやめようといっても、原発がなかった昔には戻れない。はじめ進歩だと思っていたものがとめどなくなったのである。
原発は危険だからといって、脱原発と騒ぐ気持ちはわからないでもない。しかし問題は消費者が限りなく豊かさを求める欲望を抑えることが出来るだろうか。消費生活への過度の欲望と利便性への依存を抑える意思を新たな生活哲学の基礎にすえられるだろうか。否である。
原発を止めれば、電力供給の不安定化と電力単価の高騰を招く。さらに企業業績の悪化、設備投資、雇用の縮小、経済の停滞、空洞化、税収の減少、国家財政の悪化、国債の信用崩壊等の連鎖は日本経済の致命傷となる。これまでの原子力発電は、クリーンで低コストの自前電力を確保する国策の切り札として推進されてきた。その結果、世界第2の経済大国にまで発展し、国民生活は豊かさを謳歌してきた。そして確立した豊かさを我々は子孫に引き継ぐ義務がある。そのためには原子力を活用するしかあるまい。自然エネルギーでたちどころに電力不足が解消できる等というのは妄想である。我々が原子力を利用する以上、リスクを承知の上で、それを克服、制御する国民的な覚悟が必要ということだ。今回は津波により大きな災害をもたらしたが、今後に対する安全対策に生かせる貴重な教訓も得られた。災害が起きた場合、初動における迅速な決断と、果断な処置が被害を食い止める鍵を握るということだ。女川原発や東海村原発は津波にあいながらも大事に至らなかったのは、電源を失わなかったからといわれている。緊急時の責任体制と対処方法を明確に定め必要な資材を適切に配置し、迅速な動員体制を整え、日常の訓練により十分に習熟しておけば同じ災害に直面しても今回の事態は避けられる。訓練の良い見本は、デズニーランドの従業員が地震発生と同時に日ごろの訓練を生かして迅速に動き、観客を素早く適確に避難させ、一人の怪我人も出さなかったということは日常の訓練に習熟することが如何に大事かということである。今回得られた教訓を生かして即応体制を強化しつつ、腹を据えてこれまで通り原子力を利用し続ける以外に日本の活路はない。