携帯電話に思う

先日上野駅から地下鉄銀座線に乗ったときの話である。乗客はほぼ7割ぐらいの乗車率であったが、その半分ぐらいの人たちが携帯電話と睨めっこをしている。従って乗客同士の会話はないし笑い声もない。その風景は実に異様である。特に我慢できないのは、小さな子供が何か母親らしき人にしきりに話しかけているのに対して、母親らしき方は携帯電話から目を離すことがないし、まともに返答しているような様子もない。こんな母親の元で感受性豊かな子供がどう育つのか不安だ。
食堂にいった時の話である。中年の夫婦と高校生ぐらいの息子と娘の四人連れと隣り合わせになった。なんとなく見ていると、母親らしき人と娘のほうは携帯電話に夢中である。父親と息子は無言で寝転んだままである。やがて注文したものが運ばれてきた。携帯電話組みも寝転んでいた組も、やおら食事を始めた。そして食事を終わって出て行ったがほとんど四人での会話らしきものは聞こえてこなかった。家族の絆とか、良く言われているが、実際の日常生活のなかで見られる家族の実態はこれと似たり寄ったりである。
こんな実態を苦々しく思っていたら、産経新聞の読者投書欄に次のような投稿があった。我が意を得たりと思ったのでそれを紹介したい。
60歳の男性の投書である。 「表情のない人が多くなった。目つきの悪い人も多くなった。その原因は携帯電話。あの小さな画面を睨むように見いっている表情は恐ろしい。先日公園で子供を遊ばせながら、携帯電話の画面に見入っている母親がいた。その子は何かを発見して満面の笑みで母親に知らせようとしていたが、母親の視線は画面にくぎ付けのままだった。もったいない。その後、その子は黙々とまた遊び始めた。親子が心を通わせる瞬間が失われた。あのとき、子供の心に傷が残ったのではないだろうか。こうしたことが続くと子供が心を閉ざしてしまうのではないだろうか。なんだか心配になる。どんな難しいことを学ばせるより、わが子の笑顔に笑顔で応えることの方が情操教育になることを知って欲しい。それは親の勤めである。」
まったく同感である。心すべきことである。

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