エネルギー政策の徹底構築を

電気料金の値上げが大々的に報じられている。東京電力では、約30パーセントの値上げを計画しているようだ。値上げの原因は、天然ガスや石炭の価格アップということである。東日本大震災で福島第一原発の機能が破壊される前は、原子力が日本の全発電量の約30パーセントを占めていた。それに対して、化石燃料のうち、CO2排出量が少ない天然ガスと、石炭、石油がそれぞれ30パーセントずつを占め、水力などその他が10パーセント弱の配分が基本だった。国内資源の乏しい日本では、現実的かつ合理的なものだったといえる。今は、金のかかる化石燃料が約90パーセントを占め、盛んに宣伝されている太陽光の自家発電装置は、現在、日本の全発電量の5パーセントにしかなっていない。しかも、太陽光の最大の欠点は、日照次第で発電量が大きく変動する。必要な時に必要な出力を確保するという主力電源の「資質」に欠けている。
エネルギー政策は、国策の基本である。電力が瞬時でも途絶すれば、国民生活に恐慌をもたらす。安価で安定的な電力の供給が滞れば、国民経済は活力を失い、衰弱に向かう。誰でも「脱原発」「反原発」は願わしい。多くの日本人は、その方向に向かうことを願っていると思う。しかしながら、電力という一刻も止めることのできない生命線を切らさず、現実に日本経済をつぶさず、日本人の生活に支障をきたさないという大局的、具体的な計算と戦略を持って、もらわないと駄目だろう。
とはいえ、再生エネの実用化には時間を要する。一方で、脱炭素の取り組みも待ったなしである。従って、日本は低コストで安定的な脱炭素電源の現実的な選択として、やはり二酸化炭素を排出しない原発を活用するしか方法がないと思う。
原発は燃料費が安く、安定供給も可能だ。国内の技術で建設・運用されており、国産の主力電源の性格も持っている。エネルギー政策の迷走が続けば高いエネルギーコストが慢性化し、日本経済は競争力を失い衰退する。
最近の潮流である小型化、モジュール化、分散立地などの新技術を実用化すれば、安全性は一層強固になる。この世に絶対の安全はないが、原発はあらゆるインフラの中で最も絶対に近いといえるだけの安全性を備えてきた。福島の事故後は、さらに強化されているようだ。今日を大切にし、未来を活力あるものにするには、厳しい現実に真正面から向き合い、合理性を突き詰めることが大切である。従って、一刻も早い原発の活用が国民生活を正常にする切り札であると思う。

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