人間の脳について

我々の高校時代、男女共学とはいえ、女子生徒は極めて少数でクラスに一人もいなかった。男子校の良いところは、何しろ男ばかりであったので、たとえ学科が出来なくて皆の前で恥をかかされても、さほど気にはならなかったものだ。しかしながら、同じ程度の恥や失敗であっても、そこに同い年の女子生徒がいたならば、ショックやこたえかたは大きく変わったろうと思う。いまはほとんどの学校が男女共学である。その男女共学の体制の中で、同い年の異性の前で恥をかくというのは耐え難いの屈辱を味わうことになる。今の母校は男女が6対4ぐらいのようだ。教育内容は平等主義で、しかもできる人に合わせることができないという厳然たる事実がある。
人間の個人間の脳の差は、おそらく体力の差よりもはるかに大きいと思われる。体力は鍛えさえすれば、そんなに大きな差はつかないものだ。100メートルの桐生選手に及ばぬにしても、12~13秒で走る選手は山ほどいる。しかし人間の脳は、どのくらい差があるのかさっぱりわからないほどの差が、あると推測される。したがって教育に関しては、過度な「平等主義」は大きな間違いである。
昔は、先生ができる生徒にも、できない生徒にも特訓をやってくれたが、今は、そんな先生はいない。中には人一倍教育への情熱があり、夜遅くまで残って、できる生徒にもできない生徒にも、特訓をしてやりたいという気持ちを持った先生もいるようだが、周りの教師がそれを許さないのではないのか。多分、教師の世界にも「悪しき平等主義」は浸透していて、一人だけ目だったり、頑張ったりすることはできないようになっているのではないのか。その結果が、学校以外のところで、学びたいという事になってくる。それが今日の塾の大流行につながっていると思われる。
かって日本は、明治維新から非常に短期間に先進国に追いつき追い越したのは、世界の奇跡であったと思う。日本が鎖国政策を解いたころは、ナポレオン戦争が終わって半世紀もたっていた。日本は、技術、とくに戦争の技術の面において、決定的といえるほど欧米諸国とは差があった。ところが日本はあっという間に追いつき、やがて各国を追い越していく。そのように日本がものすごいスピードで伸びていくことができた大きな理由は、やはり昔からの教育体制にあったのだと思う。優れた才能をどんどん伸ばそうと秀才を重んじることが、平等主義よりも上に置かれたのである。アメリカ大リーグの大谷翔平やイチローや松井をみれば、日本人というのは、自由に活動ができ、自由に自分の才能を伸ばせる環境を与えられ、そこに収入や名誉などが加わることが分かっていれば、大変な能力を発揮できる民族であると思う。
あまりに平等主義に引きずられてダメになっていく例として、ソ連は宇宙開発でアメリカの上を行っていたがあっという間にダメになり、最後には自滅してしまった。北朝鮮も、もともと韓国よりも豊かで工業も進んでいたが、今は韓国に大きな差をつけられていしまっている。平等主義によって足を引っ張られると、国も個人もたちどころに力を失っていくのである。
スポーツの世界のみならず、数学でも物理でも医学でも土木や建築などの分野でもいい、その分野での大谷翔平が出やすいような、そうゆう学校制度を考える必要があると思っている。