立春に思う

私は経済に暗い。それでも今まで何とかやってこられたのは、借金はしない、他人の借金の保証人にはならない、どんなに進められても、必要でないものは買わない、株は一度買えば生涯持って、緊急に金が必要になった時以外は売らない、といった事を原則にしてきたおかげだと思っている。ケインズのような、理論も金儲けもうまい、という人もいるが、我が国に溢れるほどの経済の秀才がいながら、日本経済の雲行きがおかしくなったのだから、彼らの実力も大したことはないらしい。今コロナのお陰で益々、商店街がおかしくなっているが、そうでなく通常でも商店街が一斉に休んでいる日がある。休む日が決まっているのだろうが、あんなことをやっていたら、寂れがちな目抜き通りの商店街はますます寂れるだろうと思う。大手のスーパーやコンビニなどはほとんど休まないし、これでは個人商店の営業が成り立たなくとも当然である。昔の商店は盆と正月しか休まなかった。かっての商店街は夜9時過ぎまで明るく、それだけの理由で、人は遠回りをして商店街を通って帰宅した。帰宅途中に買い物はしないまでも、あの店でこんな物を売っている、といった事が結構、記憶に残った。従ってそれを思い出しながら商店街に足を運んだものだ。
現代社会は分業で成り立ち、職業は様々だ。多くの人は米も野菜も作らず、牧畜もしない。光も熱も当然のように空気のように使っている。しかし、この恩恵に見合う生産性や創造性が人々にあるとは思えない。手を動かして学ぶ、汗を流して物を作る意識が著しくかけている。知恵も体力もなく、不相応に高度な文明を楽しめば、借金だけがかさむ。今はコロナで多くの人は余計に閉塞感の中で疲弊してしまっているが、社会や他人への責任転嫁では、解決しない。国会の論戦とは言えないような論戦を見ていると、がっかりする。
2月3日は立春である。「立春」という言葉に明日への希望が感じられる。昨日は春一番が吹いた。観測史上、最も早い春一番だそうだ。「立春」に卵が立つと中国の古書にある。物理学者の中谷宇吉郎氏は早速、自宅の机で実験して「結論を言えば、卵というものは、立つものである」と書いている。上手に重心をとれば立つ。むろん、立春に限らない。
「世界中の人間は、卵は立たないと思っていただけの事である」と。
出来ないという思い込みが怖い。今、世の中を覆う閉塞感にもその嫌いはないか。政治や行政の体たらくにあきれ、しかし、悲観し過ぎて得るものは少ない。
希望をもって諸改革に立つ。そんな春にしたいと今年こそ思う。