脚力を鍛える

毎朝、小一時間散歩することにしているが、最近は、少しずつおっくうになってきている。体力の衰えなのだろうと思う。しかしながら、我が身を奮い立たせて歩く習慣を保つようにしている。理由は、歩く趣味は足腰を鍛えるだけでなく、脳も若返らせるという効果があるからだ。人間の足と脳は直結しているという。人間が二本の足で歩くようになって、人類の脳は飛躍的に進化したと云われている。全体重を二本の足で支えるために、足には大きくて強い筋肉が必要であり、しかも、複雑な動きをするために大小の筋肉を正確に動かす必要がある。そのために、おびただしい数の神経が動員される。こうした体中の筋肉を動かす神経の束が集まっているところが脳である。
歩くことによって足の大きな筋肉が動く。筋肉が動くことによって、神経組織を通じて大きな刺激が脳に届く。脳が活発に動く状態を「脳が若々しく動いている」という事になるのである。脳が若いか年老いているかは、必ずしも年齢とは関係がないのである。歩けば脳は若返る。そう信じて歩き続けているのである。
脚力という事になると、昔の人の脚力は驚嘆に値する。有名な松尾芭蕉の「奥の細道」に次のような記述がある。
山形領に立石寺という山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし、人々の勧るによりて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る。岩に巌を重ねて山とし、松柏年旧、土石老いて苔滑らかに、岩上の陰々扉を閉じて物音聞こえず。岸を巡り、岩を這いて、仏閣を拝し、佳景寂幕として、心澄みゆくのみおぼゆ。
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」とある。
ここの記述で驚くのは、芭蕉が「七里ばかりなり」の道を歩いて、立石寺まで行き、休む間もなく山寺へ登ったというところだ。「七里ばかり」と書いてあるけれど、地図の上で見ても、やはり30キロは下らない道のりである。そこを歩くことを考えるだけでもうんざりするのに、その後、あの急峻な山寺に登るというのだから、マラソンの選手ならともかく、とても人間業とは思えない。しかし、そうゆうのが当時は当たり前だったのだろう。江戸時代に遡るまでもなく、昭和の時代でも、少なくとも、交通機関が発達する以前の人間は、その程度の事はやってのけていたのかもしれない。それを考えると、歩くのはおっくうになって来た等と、横着なことは言っておられないと思い、毎日一万歩を目標に歩き続けようと思っている。