もっとも古い歴史と伝統を誇る全英オープンは、昨年、渋野日向子選手が優勝して、日本人初の快挙を成し遂げ、我々を感激させてくれた。
それにしても全英オープンで思い出すのが、1983年7月14日から4日間、イングランドの難コース、ロイヤル・バークデールで行われた優勝争いである。地元英国のニック・フアルドと米国のトム・ワトソンの戦いで、最終日のロイヤル・バークデールは異常な熱気に包まれていた。チャンピオンリーダーとしてスタートしたトム・ワトソンも前半のアウトでボギーをたたき、ニック・フアルドなど4人の選手に追いつかれる。その後もトップグループがワンホール毎に入れ替わる激戦が展開される。ロイヤル・バークデールはますます興奮と緊張感が高まっていく。
いよいよ試合は後半戦のヤマ場に差し掛かった。
15番ロングホール、トム・ワトソンはピンそば4mにつける。もちろん絶好のバーデイチャンス。これを入れれば再び一人チャンピオンリーダーに躍り出る。ワトソンも慎重に芝目を読み、パッテイングの構えに入る。さすがに周囲はシーンと静まり返る。このとき突然静寂を破って、一人の赤ん坊が大声で泣きだした。まさにパットを始めようとしていたワトソンは、気がそがれたように動作をとめる。普通なら気分を損ねていやな顔をするところであるが、ワトソンは極く自然に観客に向かって二言・三言、「その赤ちゃんは、きっとフアルドのフアンなのだろう」。
これで観客はどっと湧く。ワトソンはこのパットをはずすが、次の16番ミドルホールで見事バーデイをとり、他を一打リードする。17番・18番の難ホールも、危なげなくパーで納め、結局1打差で5度目の優勝を飾る。
ワトソンは15番ロングホールで何としてもバーデイを取り、他を引き離したかった筈である。それが赤ん坊の泣き声に邪魔され、思うようにパットができなかった。誰しも怒りをあらわにし、文句の一つも言いたいところである。ところがワトソンは、赤ん坊がフアルドに味方してパットをさせてくれないと、さりげなく言ってその場の気詰まりな空気を解きほぐすとともに、自分の気持ちにも整理を付けた。なんとさわやかで感動的なシーンであろうか。これを大人(たいじん)の風格というのであろう。(一部「日本経済新聞」より転載)