物の考え方、判断の仕方

東京都のコロナ感染者の増加が止まらない。連日200人を超え7月16日には286人と過去最多となるなど、小池東京都知事が効果的な感染防止対策を講じているとは、とうてい考えられない状況が続く。歌舞伎町のホストクラブやキャバクラなど、いわゆる夜の街での感染者数の増加が指摘されているにも拘らず、「感染要警戒」などのパネルを掲げて注意喚起する以外は、何もやっていないように感じられる。発生場所が特定されているのだから、ピンポイントで対策を取ればこんなことにはなるまいと思う。コロナ対策に的確な判断と対策を打てないから、感染者が増加する。従って、政府の「ゴートー、トラベル」から、東京都だけが除外されたが当然だろうと思う。
物事を正しく考える事、的確な判断を下すことは管理者にとって、大変重要なことである。ところが、私達は往々にして「群盲象を撫ず」(多くの盲人が象を撫でて、それぞれ自分の手に触れた部分だけで巨大な象を評するように、)単にその一部分にとどまって全体の観察を成しえないことを言う「広辞苑」の言う通り、ある一面だけを見て、全体の判断を誤ることがある。
いわゆる、木を見て森を見失う例である。評論家で作家である堺屋太一氏が、古代中国の賢人が残した「深ければ即ち狭し」に対して、こんな言葉を残しているが、けだし名言であろう。それは、その逆もまた真であるに違いない。つまり「広ければ即ち浅し」である。
技術が高度化し、社会が複雑化するに従って、それぞれの分野に必要な知識と経験は相当に深まっている。当然、こうした深い知識と経験を持ちうる分野は狭くなる。コロナ対策の専門家会議がそれであろう。我々の多くは、自分が専門とするごく狭い分野に関する深い知識と、専門外の広い分野についてのごく浅い知識とを持っているわけだ。これを逆の視点から見ると、多くの分野は、ごく少数の専門家と圧倒的多数の素人とを擁することになる。そして、この少数の専門家たちは日進月歩の技術と限りなく複雑化する社会の中で、ますます高度化され、細分化されている。この結果、多くの分野において、素人の想像を絶した専門家だけの世界が形成される。しかし、世の中には、専門家の実力と知識の深さを簡単に誇示できない分野も多くある。
コロナの対策にしても医学的専門家と政府の意見とはだいぶ違いがあるようだ。極めて高度な科学分野で専門的な知識を習得するには、何年もの努力と、多分、幾分かの天分が必要である。そして、その後に到着した領域では、素人の「常識」で別の理論と概念がある。世の中には圧倒的多数は素人だから、この「常識」の方が大方の気持ちに入りやすい。
コロナ対策が効果的運用が確立できない理由はというか、悲劇的宿命はこうしたところにあるような気がする。東京都はこれら専門家の意見と圧倒的多くの素人が納得する方法を見つけ出し、効果的な対策を講じなければなるまい。小池知事はパフオーマンスはやめて、実効ある対応をしてもらいたい。東京都民だけが困っているわけではないのだから。