夫婦別姓問題

今国会を賑わしているが、夫婦別姓の功罪を深慮しないで、別姓夫婦を認めろという議論には違和感を覚える。
別居ないし離婚していない家族で、様々な親子の問題を抱えた場合、その解決のよりどころとするのは、夫婦別姓では父母どちらなのか。「太田一郎君の父親は山川太郎で母親は小川花子」では、教育の現場は混乱するに違いない。現行の夫婦同姓制は戸籍制度と一体である。結婚すると親の戸籍から出て、夫婦で新しい戸籍を作る。子供が生まれるとその戸籍に記載される。その共通の呼称が姓である。夫婦別姓を認めると、制度として家族の呼称である姓がなくなるから、同姓の夫婦、親子にも家族の呼称はなくなる。従って、制度として別姓を認めると氏名の性格が根本的に変わることになる。新たな問題として、夫婦間に生まれた子供の姓をどうするのかの問題も起きる。どちらの姓を名乗るのか、複数の子供が生まれた場合どうするのか、共通か、バラバラでよいのか。保護者は(父母)実質二人であるが、どちらが責任をもって子供を育てるのか。どう考えても、子供の教育の最も重要な人格形成にはマイナスが多いと思われる。血族、姻族、配偶者関係が曖昧化してしまい、家族の絆が緩んでしまう恐れも考えられる。
いずれにしろ姓の届け出の多用は、大人の無責任な論理の横行にすぎない。外国の夫婦別姓の実情は、知識としては必要であるかもしれないが、真似するまではない。
夫婦同姓は合理的な国民文化であり、国民としての責任の範疇の事である。夫婦別姓を男女同権、女性の自立と同列に正当化し、論じるのは間違いである。