農業環境の整備について

農業環境の整備の歴史を見てみると、江戸時代までさかのぼる。江戸時代の社会は、二百六十年にわたって、平和を維持することが出来た、世界史上まれにみる安定社会であった。
しかしながら、幕府財政は天明の飢饉等で、相当にひっ迫していた。そこへ登場した徳川吉宗は、財政再建のために享保の改革を主導した。その改革の柱になったのが、緊縮財政と農業生産の向上であった。支出を削り、生産向上によって収入を増やすのが、何といっても改革の王道であって、紀元前から現代に至るまで、財政立て直しの方法は全く変わっていないのがわかる。
吉宗は緊縮財政を推し進めるために倹約の徹底を図るとともに、税収を増やすことに専念する。税収を増やすための政策が、新田の開発促進であった。越後の紫雲寺潟新田、下総の飯沼新田、武蔵の見沼新田や武蔵野新田などが、このとき開かれたようだ。こうした努力により、日本全国の田畑の面積は、江戸時代初めは二百万町歩だったのが、その後、百年の間に三百万町歩へと、約1.5倍になった。耕地面積の拡大は、人口の増加にもつながり、江戸時代初めの人口は一千五百万だったのが、元禄期には三千万に達し、耕地拡大と人口増加によって経済は急拡大し、元禄期は、空前の高度成長時代を迎えた。
現代の社会は、人口減少による様々な問題が起きている。徳川時代にならって、農業を成長産業としてとらえることが、重要ではなかろうか。幸い土浦市には、全国一の生産量を誇る蓮根産業がある。レンコン栽培が有利だとして、いったん農家を離れてサラリーマン生活をしていた農家の後継者が、実家に戻ってレンコン農家になっている例が結構多いようだ。その実績は素晴らしく、レンコン御殿と言われるような、豪邸の所有者も多いようだ。
この際、蓮根産業の大増産を図ることが、人口増にもつながり、税収の増加にも寄与することになるのではないだろうか。そのために、農業者が働きやすい環境の整備が、絶対に必要な条件である。農道の整備や、給排水路の整備、水田に投げ込まれる空き缶対策、野鳥による直接的な被害(防鳥ネット)の対策等が重要だ。農業環境が格段に快適になることにより、生産性も上がり、農家の収入がさらに増え、農家の人たちが街へ消費に行くようになる。外食産業などの街特有の産業が繁栄して、かっての土浦市が復活するかもしれない。