よく外面のいい人に限って、内面が悪いというケースが多くて、家族が辛い思いをする場合が多い。新聞の投書欄で、よく目にする話である。内面の悪い人は、多分思い込みによるものが多いのだと思う。要するに会社や役所では、自分はこんなに一生懸命努めているのだから、家にいる時ぐらい、努力するのをやめたい。そして家族も自分の苦労に報いるために、サービスするのが当然だと考えるからである。この心理は自己中心的だという点で、かなり女性的である。
内面の悪い人は、つまり本当はそれだけの力量がないのである。家にいる時、草臥れて仏頂面をしたくなる程、努めなければ会社で頭角をあらわせないのなら、それはその人の力量がそれほどでないという証拠なのだ。人はすべての仕事を、かなり楽々とやれるのでなければ、能力があるとは言えない。
努力家といわれる人は、本当は困った存在なのだと最近、気が付いた。怠け者を自覚している人は、自分にも、他人にも、会社にも、社会にもいつも負い目があるから、決して威張らないし、威張る気にもならない。
しかし、努力家は、自分は正当なこと、立派なことをしている、と思い込んでいるから、他人が自分に感謝と称賛を送ることを、必ず心の中で要求している。
ところが、社会というものは、基本的に人のことは、正当に評価しないものなのだ。だから、努力したってそれを分かってくれる人は少ないし、怠けていたって、その人の力量に大体近いくらいには、評価してくれるものなのである。
怠け者は、実際と評判の落差を気にしない。というより大体同じくらいだと認めているから、いつも心理的に余裕がある。しかし、努力家は、絶えず人の目を意識している。つまり、見栄っ張りの傾向に傾く。しかし、世間の評判は、多分、常に彼の期待以下にしか見ないから、彼はいつも不幸で、その結果、彼の性格まで幼稚に見えて損をすることになっている。
世間が自分をどう評価するか、という事が気になってならない人というのは、やはり本質的に自分に自信がないのだと思う。と同時に、自分の才能が世間から過大評価されているのではないか、という事を薄々感じて怯えていもる。いや意識的には、そんなコンプレックスは感じていなくても、意識下で感じているという方がさらに正しいだろう。
家庭では、外にいる時より努力して、明るく優しく振舞うべきなのだ。そうであれば、我が子への虐待など起こるはずもない。
今までの日本人は、外で良く努めなさいと教えたが、家族が最も大切だから、家族に対しては、社会に対してよりも、数倍努めなさいとは教えなかった。大きな教育の間違いだったのである。