前号に続く

日本の復興が早かったのは、戦争で破壊されたのは主に工場や鉄道、住宅などのハードウエアで、読み書きそろばんの能力や、規律性や勤勉さなど、日本人のソフトウエアは破壊されなかったのが幸いした。このソフトの原点は、江戸時代に培われたもので、特に元禄時代は殺戮を厳しく戒め、喧嘩や戦争はダメと人々に強く植え付けた。享保時代には社会の秩序が重視され、時代劇の映画で、刀を抜いての斬り合いばかりが演じられたが、実際には江戸時代の日本には、殺人事件はきわめて少なかった。
庶民の間には読み書きそろばんが広がり、日本の識字率は高水準となっていて、明治維新の時に読み書きができた人の割合は、当時の英国を凌いでいたという。
敗戦直後の食料や家がない時でも、子供を学校に通わせ、わが子の教育の充実を期待した。このように優れた教育を受けた良質な労働力があったから、日本の経済は速やかに回復したといえる。これが「奇跡の復活」の要因だと思う。
次の要因は「金の卵」と呼ばれた中学・高校卒の人たちが、集団就職で農村から都市へ移住して、企業の現場力を強め、同じ物を大量に作る規格大量生産を徹底させた。電気洗濯機、白黒テレビ、電気冷蔵庫といった「三種の神器」が、国の隅々にまで一気に普及し、その結果、国民の生活環境は一変した。量産効果で価格が下がり、企業業績も上がり、従業員の賃金も大幅に上がり、国民の所得増でさらに物が売れるという好循環が加速した。ものづくりの進化は、輸出の増加にもつながり、繊維、鉄鋼、自動車などが世界市場で販売を伸ばした。
このころのアメリカのバックアップは大きかった。地理的に日本はソ連や中国に近く、西側陣営として地理的に重要だったので、アメリカは日本に市場を開放して、技術も供与して日本をバックアップした。従って、多くの日本企業がアメリカの市場を舞台に飛躍したのである。