原発について

民進党の連坊代表が、原発を平成30年でゼロにしようと盛んに提案していたが、さすがに党内から異論が出て、引っ込めたようだ。 原発を政争の具にしようとする考え方は、あまりにもお粗末すぎるし幼稚な話だ。
そもそも、文明を支える要因の原発を否定してしまうのは、軽率を超えて危険極まりない話だと思う。 ある期間を想定してその間、我々がいかなる生活水準を求めるのか、それを保証するエネルギーを、複合的にいかに担保するのかを斟酌計量もせずに、平和の内での豊饒な生活を求めながら、かっての原爆体験を背に、原子力そのものを否定することが、さながらある種の理念を実現するような、センチメンタルな錯覚は、結果として己の首を絞めることになりかねない。
人間の進化進歩は、他の動物には到底及ばない、人間のみによるさまざまな技術の開発改良によって、もたらされたものである。 その過程で失敗もあり、超克もあった。 それは文明の原理で、原子力もそれを証するものだ。
そもそも太陽系宇宙にあっては、地球を含む全ての生命体は、太陽が発する放射線によっても育まれてきた。 それを人為的に活用する術を、人間は編み出してきた。 その成果を一度の事故で、放棄してしまっていいものなのだろうか。 そうした行為は「人間が進歩することによって、文明を築いてきたという長い間の考え方を否定するものである、人間がサルに戻るという事だ」とある学者も指摘している。
人間だけが持つ英知の所産である原子力の利用を、一度の事故で否定するのは、一見、理念的に見えるがまったく違う。 日本と並んで原子力の活用で、各国に比べて突出しているフランスと比べると、世界最大の火山脈の上にあるという、危険な日本の国土の地勢学的条件を斟酌せずに、ことを進めてきた原発当事者たちの、杜撰さこそが欠陥であって、それをもって原子力その物を否定してしまうのは、無知に近い野蛮な話だと思う。
豊かな生活を支える、エネルギー量に関する確たる計量も、代案もなしに人知の所産を頭から否定して掛かる姿勢は、社会全体にとって危険なもだ。
連坊代表は、いまだに二重国籍問題について、はっきりとした説明をしていない。 このような奇妙な政治家に我々は膨大な血税を使っているのである。