寺の境内での豆まき

昨年から、2月3日の節分の日に町内の子供たちを集めて、豆まきの行事を盛大にやることにした。 宝積寺の住職の提案で寺の境内を使って始めたのだが、昨年はPR不足の割には100名程度の子供たちが集まった。 活発に豆を追う子供たちの姿に感激した寺の役員達は、護持会運営費の中に正式に豆まきの経費を予算化して今年はさらに盛大にした。 
従って、前年以上にいろいろと趣向を凝らした結果、3人の大相撲の力士と、寺の役員の中から年男に該当する人を選んで、豆や、お菓子や、ミカンや、おひねりをまくことにした。 おひねりの中には、1000円銀貨や100円銀貨等も入っていたらしく、それを拾いあてた子供たちは飛び上がって喜んだ。 子供たちにくっついて両親や祖父母の顔も多数見えて、新しいコミュニケーションが大きく復活したと思う。
 木田余町には、木田余東台区画整理が行われて多数の住宅が建設され、新住民が旧町内の人口の数倍となり、新旧住民の交流が課題となっていたが、節分祭でコミュニケーションの活発化が一層図られたと思っている。
昨年の3倍ぐらいの人が集まって華々しい雰囲気が醸し出されたばかりでなく、老若男女が一堂に会すというのは実に楽しいもので、参加者の笑顔に包まれている姿はそれを見ている者にとっても極めて充実した達成感があるものだ。    
子供たちや若者たちの家庭も含めて、彼らの人生における足元、地元の崩壊が非常に気になるこの頃である。 問題はコミニュテイ-の欠如が極めて顕著なのだ。 町内でのコミニュテイーたる地元の崩壊は、人間同士の連帯を著しく阻害してしまった。 文明の発達は、数々の便宜性を提供してくれてはいるが、それが実は人間を如何に本質的に阻害し、弱体化させているかを考えなければならないと実感する。
いかなる人間も、他者とのかかわりなしに生きて行くわけにはいかない。 それは厄介であっても、その厄介さの相剋の中で人間は鍛えられ、その存在の意味と価値を知っていくことになるのだと思う。 今、彼らは他者とのかかわりを担保するものは、インターネットというヴァーチャルな術であって、何らかの不安を抱えた彼らが頼るよすがは、IT情報へのアクセスでしかなく、その結果不安はますます増幅されていくと思われるのである。
少子高齢化が進みそれによる課題が困難な中、より一層行政や地域の大人たちが意識して、積極的に交流の場をつくり、コミュニケーションを自然なかたちで盛り上げていく必要があると思う。 昔ながらの向こう三軒両隣の関係、今はやりの絆の復活をお互いが真剣に取り組み、町内の若者や子供たちの健全な育成を図ろうではないかと思うが如何。 

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