大相撲の放送中止

NHKは1953年から続けていたテレビでの本場所中継放送を、11日に初日を迎える名古屋場所の生中継を取りやめると発表した。
国技である大相撲の存続の危機である。視聴者からNHKに寄せられた賭博問題をめぐる意見のうち、68パーセントが中継反対だそうだ。
相撲協会に対する国民の厳しい視線は相当なものがあると感じざるを得ない。
大相撲と言えば、私達日本人の意識の中には、「我、いまだ木鶏たり得ず」と、69連勝を達成した大横綱双葉山が、安芸ノ海に連勝を阻まれたときに言ったと言う話が伝わっている。
また2代の春日野親方の引き際の見事さが生身の人間とは思えない「抑制の美」を物語っているのを思い出す。
先代春日野の栃木山は、大正14年春場所10勝1分で3場所連続9回目の優勝を飾ったあと、あっさり引退した。
2代目春日野親方の栃錦は、師匠を見習うかのように昭和35年初場所14勝1敗で10回目の優勝を果たし、翌春場所、初代若の花との千秋楽全勝対決に敗れるとさっさと引退した。
いずれも鮮やかな引き際だが、2代目春日野親方は「師匠に横綱は追い詰められて辞めるものではない。
桜の花が散るごとく身を引けといわれていた。
若の花との一戦に力尽きて負けたので潮時と思った」と言っている。
精神が完全に充実して保たれているのである。
当時、栃錦は春日野との2枚鑑札で、部屋の師匠でもあった。
弟弟子の栃の海や栃光も3役に昇進してきていた。
部屋の運営に専念しなければならない時期に来ていたということもあった。
さらに名門、春日野を継承したことで、将来幹部として相撲協会の経営に参画することも約束されていた。
栃の海、栃光を横綱、大関にして部屋の繁栄を目指すと共に、蔵前国技館を行き来するたびに目に付いた、両国駅そばの空き地に新国技館をと言う夢を胸に秘めていたそうである。
私たちが日ごろから大相撲に対して感じているものは、相撲界というところは相撲が強いと言うだけではなく、勝れた精神力を鍛えるところであると信じていたのである。
品格を重んじる日本の文化を、誰がなんと言おうと守り続けているところだと思っていたのである。
日本の伝統と文化の象徴である大相撲は 、国民の期待を裏切らないよう一日も早く膿を出し切って立ち直って欲しいものである。