言葉の表現の仕方の基本

政治家や行政のトップ・さらには新聞やテレビにしろ、頻繁に使われている言葉とか広告とかコマーシャルなどに使われている日本語が、万人には不向きであると思う事がしばしばある。それは、そこに書かれている日本語が、普通の国民に理解されるような表現が基本だろうと思うが、そうではない場合が多い。 例えば広告などは、全員が分からねばならないとまでは言わないが、いわゆる流行語を知っている中年以上で理解している人が、きわめて少ない場合などが多いことだ。それは広告の基本線である「広く一般に知らしめる」という目的を果たしていないようにと思えて仕方がない。
もちろん年寄り世代の知らない言葉を使っても構わないのだが、その場合は、そうした最新流行語を知らない「知的弱者」のために、粋な解説を付けるとか、英語の単語を使いたいときは、やはり訳にあたるものを付けるかするべきだろう。独りよがりの言葉や文章が背後にあるのは、むしろ押しつけがましさを感じる。
小池東京都知事をはじめ多くの行政のトップが頻繁に英語の単語を駆使して、コロナ関連の対策を説明しているが、全員にわからせようと思うなら、日本語を使うべきだろう。我々年配者の多くは、大学へ行く道は現代と違ってきわめて細い道だったし、今ほど英語が必要だと思われない時代を送ってきた。誰もがみんな英語がわかるという前提のもとに、英語の単語を日本語の表現として使うことは本当は避けるべきだと思う。
ここは日本である。日本であるならば、まずはきちんとした日本語を使うのが筋であろう。特に指導者といわれる人は、なおさらである。そして、日本人であるならば、正しい国語を使えと強く思う。国語とは何ぞやということを調べる機会があった。それによると国語とは、「国家の歴史、文化、伝統を背景として展開してきた言語」であり、第一次の「国」と最後の「語」とを抜き出し、略して「国語」というとある。
「テレビ」とか、「コンピューター」とかいう程度に一般化していない言葉を使うということは、本当は無礼なものなのだ。

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