些事こそ大事

1年12ケ月の和名は、時候を象徴的に表していて、それぞれに含蓄がある。2月は如月であり、草木の更生することをいう。満目荒涼たる冬景色の中で、草木は春に備えて黙々と新生のステップを踏んでいるのである。やがて雪に覆われた地面を割って蕗のとうが顔を出し、梅のつぼみがほころび始める。厳寒の中で、着実に植物としての営みを続けてきた辛抱強さには感心する。コロナで人間の世界も、長い間辛抱を余儀なくされてきたが、やっと雪解けを迎えたようだ。そうはいっても自然調和が通用しにくい人間社会は、千変万化の状況をそれなりに予測し、必要な備えをし、それなりに機敏に対応することが必要である。そう思って行動を開始した。
2月23日、コロナ対応の県独自の緊急事態宣言が解除になって久しぶりに上京した。友人と昼食を摂るために、ホテルに入ろうとした時の話である。急にロビーから出て来た若い女の人と正面から鉢合わせしそうになった。
フアッション雑誌から抜け出したような、すらりとした背の高い美人であった。私の方が少し早かったのだが、相手はこちらに気が付くと、急に2、3歩小走りになり、強引に入り口に突っ込んできた。仕方がないので、1歩横に避けてやり過ごしたが、思わず顔を見たことだった。同じような経験は今回で2度目である。友人と二人で食事をしながら、つい昔のことを想い出していた。
子供の頃、母親から教えられたことに「片寄せ」というのがあった。狭い道路で行き違う時には、お互いに肩を進行方向に対して斜めにして、道の片側に寄らなければならないというのである。雨の日に傘を差して行き会う時などは特に思いやりが必要だろう。たしか中谷宇吉郎の随筆か何かだったと思うが、「知性という言葉が日本では、何か特別な高い教養にのみ結びついているように考えられ勝ちであるが、知性はそうゆう特別な階級の専用物ではない。知性の一番わかりやすい定義は、物事を考えたり行動をする場合に、自分以外の人の事を考え得る能力といった方がよかろう」と言っていたのを思い出す。
家庭の生活でも仕事の上でもそうだが、大切なのはむしろ些事である。重要なことは慎重にやるし、準備も念入りにやるからミスも少ない。その人の本性が出るのは、むしろ日常の何気ない行為であることが多い。そうゆう行為は人間の本質から発するからであるらしい。
与党に所属していた衆議院議員が緊急事態宣言下の深夜に東京・銀座のクラブを出かけたりするのは、些事である。些事こそ慎重にという代表例そのものであろう。些事を守れなかった指導的立場にある者の責任は重い。
責任を取るべきであろう。

Follow me!

つぶやき

前の記事

立春に思う
未分類

次の記事

言葉の表現の仕方の基本