紀平梨花選手が、フイギアスケートで世界チャンピオンになった。選手が歯を食いしばり、頑張ってメダルを取る姿は、見る者を感動させる。紀平選手は16歳という若さであり、今後どれだけ伸びるであろうかという期待に胸が膨らむ。紀平選手は、今まさに「時」をつかんだ。それにしても「時」について思い出すのは、マラソンの強化委員長の瀬古利彦氏の選手時代、並びにその師の中村監督の話は有名である。瀬古選手の全盛期というのは、日本が不参加だったモスクワ五輪の時だった。又、中村監督も往年の名選手で、やはり全盛期は、幻の東京五輪「第二次世界大戦」の頃だったといわれている。彼らは決して「時」を失ったとは思わいが、しかし彼らが目標としてきたもの、その目標に向かって培ってきた日々を考える時、最盛期に最高の場で力を発揮できなかった。それを見るとそれを不運とみる人もあろうが、やはり人生の「時」を感じずにはいられない。日夜努力した人でさえ、「時」に見放される事があるのである。まして凡人である我々は尚更である。
しかし真面目に一心不乱に物事に打ち込んでいる人には、不思議な救いがあるように感じる。「時」の見放され方が少ないのである。運は真面目に準備された人に訪れる。紀平選手のこれまでの成長の跡を見ると、家族も含めて大変な努力をしているのが分かる。
渋谷で大騒ぎしてしたりするのも、若さの発揚の一つかもしれない。パチンコ屋に通うのも、ストレス解消かもしれない。しかしそうゆう事で、全て「時」を失うのは、なんとも悲しい。
過ぎた日々は戻ってこない。人生には「時」がある。「時」を誤らずにしたいものである。