三島由紀夫の思い

京都の冬は寒い。12月は年の瀬も加わって、京都を訪れる人は例年少ない。友人の一人がお客さんが少ないので、12月の京都は居心地がいいという。そう言われていたので、いつかは12月に行ってみたいと思っていたのでふらっと行って見ることにした。一応目的は、霊山護国神社の裏山にある坂本竜馬の墓である。ここへ行くには、いろいろあるが、清水寺から行くのが一番良い。清水から三年坂、二年坂、一年坂を下ると維新の坂に突き当たる。正面は高台寺だ。維新の坂を上り始めると、やがて右手に霊山歴史館が見えてくる。ここには池田屋を忠実に再現した模型がある。見学を後回しにして坂道を進むと、石の急な階段になる。階段を登り始めるとすぐ小さな鳥居の下に、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓が並んで立っている。2つの墓の横に寄り添うようにあるやや小さめの墓は、2人と一緒にとばっちりを受けて殺された近江屋下僕の藤吉のものだ。2人の墓のまわりには、茶褐色に朽ちた墓の群れがびっしりと建てられている。高杉晋作や木戸孝允や吉村寅太郎や水戸藩や薩摩藩の墓もある。木立ちに囲まれた佇まいは、まるで明治維新のなかに立っているような錯覚を覚える。ここにまつられている志士たちは、維新激動のさなか日本の将来を案じて熱く行動した人たちである。
だが、これほどまでに熱い志をもって行動し、死んでいった志士たちにとって、今の日本がどう映っているのかと考えると、まさに心許ない思いがする
三島由紀夫が晩年、ここに眠る志士たちが尊仰した「日本」という国は、既に無くなっているかもしれないと言う不安を口にしていたのを思い出す。
明治維新がなって「坂の上の雲」を目指して懸命な努力を重ね、大東亜戦争に敗れて尚、世界第二の経済大国を作り上げた日本国や日本人が、今ひどいことになっているのを三島由紀夫はどう見ているのであろうか。
民主党政治の混迷が、日本を根底から壊す方向に突き進んでいると言っても過言ではない。来年度予算は税収より借金の方が多い。財政はパンクする可能性がますます大きくなっている。尖閣、北方領土、円高、デフレ、TPPまた仮免首相、議員を辞めることを辞めた前首相、政治と金の説明責任を果たさない元代表、さらに暴言、失言、妄言等々、枚挙に遑がない。実に無教養でお粗末なのが多いというのは万人が認めるところだろう。
政治の混迷の度合いがますます深まっている原因は、民主党の政権運営の稚拙さと政策実行の脆弱さにある。このような民主党を選んだのは、ほかならぬ国民なのである。それもこれも日本人が、日本人らしさを失い始めているからではないだろうか。はっきり言ってしまえば、国際社会における日本人の評価は低くなってしまっているだろうと思う。従来の日本人は、決して今の民主党のように、志のない政党に政権を与えるような愚は取らなかった。どんな時代になり、どんな生活様式に代わろうとも、日本人はあくまで日本人なのだ。そのためには、我々はやはり歴史から学ぶことが一番だと思う。来年はさらに歴史物を読もう。民主党議員よ、是非そうしてくれ。

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