子供に対する考え方

 最近の子供は、銀行預金が百万円以上というのはザラだそうである。 お年玉や小遣いに貰う金額が、我々世代と比べて格段に違うらしい。 したがって小遣いの使い方も違うようだ。
服装はブランド物、冷暖房完備の個室、子供によっては車での送り迎えなどというのもあるらしい。 こうゆう育て方をされた子供というのは、一体どうゆう人間になるのだろうかと心配になる。
もうかれこれ十年ぐらい前の話だが、スコットランドのアバデイーンからインバネスあたりをレンタカーを借りて旅行した時の話である。 確か八月だったと記憶しているが、スコットランドの夏は寒い。 途中、川をフエリーで渡ることになった。 ちょうど冷たい雨が降っている日で、我々はフエリーの上で車の中に乗ったままいたときのことである。 フエリーが向こう岸につくまでの、わづか30分かそこらの短い時間であったと思うのだが、我々は車の中にいたから何でもなかったが、車の窓のすぐ傍らには、雨着を着た人たちが濡れながらじっと立ちつくしていた。
その中に、まだ小学校にも入っていないかと思われる少年がいた。 その少年のと思われる両親もいた。
僕は窓を開けて、よかったら子供さんだけでも、僕たちの車に入れて座らせてあげたらどうですかと言ってみた。 するとその母親らしい人が言った。 「ありがとう、でも私たちは、子供にも雨の中を歩かせるために来ているのですから」。
こうゆうものの考え方をする人が、残念ながら今の日本にはいなくなってしまった。 
教育とは心身の鍛練であり、それは人生の苦しい状況に耐えるためにある。 耐えた経験があると人間は自信ができるから、簡単に「きれた」りしなくなる。 
ヨーロッパというところは、少し気を許せばいとも簡単に外敵が侵入してくる。 尖閣諸島のような争いは、日常茶飯事のことなのである。 外敵に自分の利益を踏み荒らされるか、追い払って自分と家族と同胞の利益を守るか、どちらかしかないのである。 日本は、国の周辺の安全保障環境の悪化に対しても、自らの国を守ることすら現行憲法では他国に依存するしかないというお粗末さである。 国を守り国民の安全を守るには、中国や北朝鮮を見ていると、紳士的闘いなどというものは絶対にあり得ないから、、心身は常に鍛えておくほかはない。
子供に要求されると、専用の部屋、空調設備、携帯電話、トレンデイーな小物など、何一つ拒否することのできない親たちというのは、最低の親と思って間違いない。
英国には子供を困苦に耐えさせる伝統があるのだ。 かって日本人が「艱難汝を玉にす」と子供に教育したのと同じだ。