脊柱管狭窄症のその後について

 脊柱管狭窄症が再発して3週間が過ぎた。 今どうゆうことになっているかと云うと、腰から上には何らの異常はない。 再発以来、両足が思うように動かないので、何をするにも不自由であり、無理に動くと疲れ方が普段より数段ひどくなるように感じるので、夜は早めに寝ることにしている。 
毎日8時間以上の睡眠と、アルコールを飲むと薬が効かなくなると、固く信じている妻がアルコール類をどこかに隠してしまったらしく、見当たらないので3週間禁酒状態である。 したがって上半身の体調は生まれた時と同じくらい快調である。どうにもならないのは腰から下だけで、 両太腿の両側の筋肉の痛みは依然としてとれないし、何かのはずみで激痛が走ることもある。 どのくらい痛いかと云うと、家の中の床をキャスター付きの椅子につかまって歩くのだが、何かにつまずいたりすると、「アッ」と叫んだきり、床にひざまづいて四つん這いの姿勢となり、しばらくそのまま「ウーー」と唸るほどである。 気息奄奄としつつ、強靭な体力を信じている、かっての野球少年は、とっさにストレッチ等をして何とか収めることにしている。 
このような状態をどうして知ったのか、複数の友人たちがいろいろと心配してくれて、鍼灸の名人を差し向けてくれたり、会社の往復に頼みもしないのに勝手に送り迎えをやってくれたり、病院へ行くのに背負って行ってくれたり、欠席できない会議に出席した時など車椅子を用意して、それを押してくれたり、同じような症状の病気の経験者は毎日のように、メールで治療法を伝授してくれたりしてくれる。
こうゆう時に思い出すのは「仁」という言葉である。 「仁」とは、孔子が人間固有の最高の徳としたもので、親子兄弟間の親愛の情を根本とすると広辞苑にある。 要するにこの「仁」と云う文字は二人の人間を表していると思う。 祖父母があり、両親があり、妻があり、子があり友がある。 そこに社会がある。 人は一人で生きているわけではない。
江戸時代石田梅岩が
○ 夏は日陰、冬は日当たりを人に譲る。 「仁」なり
○ 休む時は貧しい茶店へ行き、茶代は少し多く置く。 これ「仁」
己の利欲の前に他者の利益を考えねばならない。 東日本大震災で示した東北の人たちの哲学を熱く思い出す。 それと同じことを近くにいる複数の友人たちがやってくれている。 この「仁」の総量によって、社会の幸福と平安は保たれているといってよいであろう。 
昨日病院きっての整形外科のエースに診てもらった。 結果は手術をしなくても、指定された薬をまじめに飲み、両足のリハビリを忠実に行えば、あと一か月以内には正常な日常生活に戻れるとの診断であった。 この上は、巨人軍の長嶋茂雄前監督と同じように、歯をくいしばって、辛いリハビリの特訓に耐え、半月以内に直してみせる。  

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