後戻りはできないもの

どんなに優秀な人でも、それをわが子にそのまま伝えることはできない。 イチローも松井も彼らが到達したところからは、彼らの子はスタートできない。 しかしながら、物はそうではない。 
元禄14年の赤穂事件の時、殿様が起こした江戸城刃傷事件を国元へ知らせるのに早駕籠を使った。 江戸から赤穂まで155里。 普通に歩けば半月はかかる。 早駕籠は4日半で乗り切った。 そのかわり早駕籠に乗った武士は二人とも赤穂に着いた時は半死半生であった。 
また鳥羽伏見の戦いで、徳川慶喜は大阪城を抜け出して、大阪港に待機してあった軍艦で江戸へ帰ってしまった。 残された幕臣達は急いで江戸へ帰らないと、薩長連合軍の餌食になってしまうというので、東海道を歩いたが、大変な道のりだったという。 越後長岡藩の河合継之助は、大阪港から船で遠州掛川まで行き、そこから江戸まで56里を早駕籠を使ったという。
このとき河合継之助が思ったことは、薩長はもとより西国の雄藩は、国もとと京・大阪の交通はすべて蒸気船で往復しており、薩摩からさえ大阪まで3日足らずなのを見て、蒸気船の確保を決心したという。 人間は必要に応じて、その対策を考え、科学が進歩するのを繰り返して現代がある。
汽車から電車、そして新幹線、飛行機へと文明の発達は限りない。飛行機は、今ボーイング787が燃料漏れや、ブレーキ系統の不具合の他、運行中に窓ガラスにひびが入るなどトラブルが多発している。 しかし危険だから飛行機をやめようとは誰も言わない。 食品、薬品、環境問題にしてもしかりである。
原爆許すまじと言っても、世界の趨勢からいって原爆がなかった昔には戻れない。 
したがって原発も同じである。 計算できない不確実性の危機に対してあくまでも実際的、実践的知識で対応していくしかないのである。 アルジリアでの国際テロ組織による事件に、対する日本政府の対応にいらいらした日本人は多い。 しかし現在の自衛隊法では、国外で危機に遭遇した日本人を助けるために、自衛隊を派遣することはできないのである。 平和ボケしている日本人は、「安全な技術など古今東西あったためしがない」と識者が言う言葉をかみしめる必要がある。 日本と比べて技術力で、はるかに劣る中国や韓国の原発が事故を起こしたとしたら、放射性物質は間違いなく偏西風に乗って日本上空に来る。 
世界中の原発を安全なものにする技術を日本が確立して、世界中の原発の安全を確保することこそ日本の世界に果たす役割なのである。
原発を再稼動して、毎年3兆円にも及ぶ燃料代を国内の景気刺激策に使うべきなのである。

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