脱原発は無責任(2)

 資源小国の日本にとってエネルギーは生命線である。 現在の日本のエネルギーの主役は石油であるが、その石油が日本の高度成長の原動力となって生産活動を行ってきた結果が、世界第3位の経済大国になった。 そして、その後の2度にわたる石油危機は、資源を持たない日本に大きなショックを与えたが、安定的なエネルギー源である原子力にシフトしたことによって克服し、今日の日本があるのは誰もが認めるところだろう。
今回の衆議院選にあたって、ほとんどの政党や候補者が、2030年代前半に原発ゼロを目指すと主張している。 
しかし政府が試算している数字は、原発が全停止すれば電気料金が2倍近く跳ね上がるとしている。 再生エネの発電量を3倍に増やすための送電網整備や、固定価格買取制度の財政負担などで、さらなる増税も出てくる可能性も指摘されている。
電力コストが増加することで企業収益が落ち込み、電気料金の安い海外に移転するケースも当然に出てくる。産業の空洞化は一段と拍車がかかり、景気がさらに冷え込む。 失業者も増えるし、自殺者が増えることも予想される。 
どうしても停電が避けられない状況になった場合、医療機器が動かないとか、交通信号機停止とか深刻な問題が起きる。 年間にさらに3兆円を超す輸入代金が嵩むということは、最低でも3兆円の乗数効果を勘案すれば、その2~3倍分も国内総生産(GDP)が縮小することも考えられる。
さらに日本の燃料増に伴い原油価格の高騰も考えられ、世界的影響も大きい。
英国のエネルギー政策では、現実を見据える姿勢が明確だ。 英国では東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、規制体系を含めて自国の原発を再点検したうえで、「基本的な脆弱性はない」と結論付け、2010年に発表した国内8か所の原発新設計画を変更しないことにした。風力発電は、風頼みで送電線網整備などに巨額のコストがかかる。 高いエネルギー自給率を支えてきた北海油田は枯渇しつつある。電気料金が上がり過ぎれば、国際競争力や雇用に悪影響を及ぼす。 エネルギーの安定供給と地球温暖化対策、国民が負担できるコストという3つの難題を踏まえ、古い原発を順次閉鎖する代わりに、安全性の高い原発を造るという判断をした。
それに比べ我が国の政治家や国民の何割かは、一気に原発ゼロに飛躍してしまって、科学を人類にどう役立てるかの発想を失ってしまっている。
今、原発をなくすかどうかの議論で重要なのは、原発の安全性や再生エネの可能性の限界、化石燃料に頼り過ぎるリスクなどを、冷徹に分析する作業を急ぐべきなのであろうと思う。 
過日、英国の専門家が来日した。日本のエネルギー関係者に対し「日本の議論は、科学的な分析と評価が欠けているのではないか」と懸念を示したという。現実を直視する英国の姿勢は見習うべきである。 脱原発を主張する政党や政治家たちは、国を誤った方向にリードすることになる。

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