子供にとって迷惑な話。

どこかに錯覚がある気がしてならない。 最近感じるにがにがしい街の風景だ。それは何かというと、嬉々として少年や少女のふりをする父親と母親たちのことだ。 当世の父親や母親は、若く見えること、もしくは、幼く見えることが時代の先端であるかのような気持ちを持っているようで、しかも、それを子供も喜ぶと信じている。
白髪を染めたりはまだいいほうで、これ見よがしの派手な服装や、若者言葉を得意げに使う。 
さて、子供はそれを見てどう思うだろうか。 多分、我々の感想からいうと、妙に若やいだり若ぶったりする親というものは、迷惑であっても自慢に感じるものではない。ましてや、少年のふりをしたり、少女のふりをされたりすると憎悪さえ抱く。
子供からすると、貫禄や風格を示しながら、チラと好ましい稚気を感じさせる父や母は魅力に思うが、風体や行動そのものが少年少女になられると困るのである。 なぜなら、父や母は、子供にとっては逃れ難い明日の自分の姿であるから、その責任を捨てて、キャピキャピされたのでは、目標を失う。
子供にとってはこの上なく迷惑なトレンドであって、そんな父や母など求めていないのだ。
心配なのは子供までが永久に社会の大人にならないで、幼稚なまま育ってしまい、大人のいない社会が構成されてしまいやしないかということだ。
父親にも母親にも、子供のあらまほしき明日の姿を実証する責任があるのだ。 堂々の父や、颯爽とした母の姿が逞しい子供を育てるのである。

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