民の苛立ちとは

先日、前首相の鳩山氏の顔が久しぶりにテレビに映った。それを見ながらふっと頭を過ぎったのは、鳩山氏のいかにも育ちの良い、品の良い、人の良さそうな笑顔は「人の良さは、乱世にあっては美徳どころか、時としては罪悪でさえある」という司馬遼太郎氏の言葉を思い出した。国にしろ、地方政治にしろ、政権の評価の基準をどこに置くかは、時代・政治環境によって当然異なる。特に大震災のあとの国民の苛立ちと不安が、社会に渦巻いている現代にあっては、安定した強い政治が今ほど求められている時はない。
時の首相である菅首相は、よりによってもっとも人間性の欠如した政治家である。この特異な能力の持ち主は原発事故でも、解散権でも、己の保身に利用できるものは何でも利用する。仲間であろうと、平気で踏み台にするし、度重なる言行不一致などまったく気にもとめる様子もない。民主党も民主党で、閣僚たちや党執行部も、こんな首相を公然と非難する。かくも人心は離れているが、一向に意に介さない神経というのは常人にはとうてい理解不能だ。彼を選んだ国民は、今手ひどいしっぺ返しを受けているといっても過言ではない。大震災による被災者の過酷な現状を、一刻も早く救わなければならないと本気で思っていないから、夫人同伴で贅沢な夕食会の梯子などテレビで放映されている。あの費用が我々の税金だとしたら返還訴訟でも起さなければ収まらない心境だ。何の政策がないまま、もう大震災から4ヶ月になろうとしている。国民の苛立ちは、ますますつのるばかりである。
中国の明代の学者、呂新吾は、その著書「伸吟語」のなかで、第一等の人格として、「深沈重厚」を挙げている。かってわが国の首相となる人は、人格も一級品だった。首相就任3ヶ月で病気のため引退した石橋湛山氏の口癖は、「民主政治は往々にして皆さんのご機嫌を取る政治になる。国の将来のため、やらなければならぬと思っても、多くの人から歓迎されないことだと実行を躊躇する。あるいはしてはならないことをするようになる。こうゆうことが今日、民主政治が陥りつつある弊害である。」 また「政治家にはいろいろなタイプがいるが、もっともつまらないタイプは自分の考えを持たない政治家だ」。
元首相の大平正芳氏は難局にさいしてこんなことを言っていた。「あたりはまだ闇でも、頭を上げて前を見れば、未来からの光が差し込んでいます。後ろを向いて立ちすくむより、進んでその光を迎え入れようではありませんか」  菅首相との違いが有りすぎる。

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