国旗・国歌について

卒業式の国歌斉唱の際、教職員に起立斉唱を命じた校長の職務命令について、最高裁が「思想、良心を直ちに制約するものではない」として合憲の判断をした。
最高裁判所の判決が、今までの反日派の主張を明確に否定したのである。
日本国民の大多数が、日の丸を国旗、君が代を国歌だと思っていることは、久しい以前から、各種の世論調査を通してはっきりしている。 ところが、日本には国旗も国歌もないと主張する人たちもいる。 その通りならば、日本は世界に類例なき不思議な国ということになる。 日の丸、君が代を認めない人たちは、アジア侵略の象徴だからとの理由を挙げている。 そもそもこれが世界に類例なき理由である。 
例えば、第二次大戦終結後、イギリス、フランス、オランダ等は、アジアの植民地支配を回復しようとして再侵略を開始した。いずれも結局は敗退したが、どの国でも侵略の象徴だから、国旗も、国歌も変えよう等という話にはなっていないし、聞いたこともない。「自由、平等、博愛」の象徴とされる三色旗を誇るフランス等は、べトナムへの再侵略敗退のあと、アルジエリア等でも独立運動弾圧の凄惨な軍事行動を繰り広げたが、三色旗を変えるべきだという話等はまったく出ていない。 フランスの後を引き継いだアメリカでも、戦争の当否をめぐり国論が分裂するほど激しい中にあっても、国旗、国歌をどうするか等という議論はなかった。 ベトナム戦争に参戦した韓国でもそんな話はまったく出ていない。
要するに、日の丸、君が代否定の論理というのは、特殊日本的なものに過ぎない。 否定の中心が55年体制下のマルクス・レーニン主義勢力と重なっているというところが、又特殊日本的な現象といえるであろう。
そう言えばかって小学校の運動会で、1、2等を決めるのすら差別だなどと屁理屈教育を受けて育った世代が、オリンピックで世界一の記録を出し、表彰式で君が代を聞き、日の丸を見て感激し興奮していた姿を何度も見せられた。大いなる矛盾である。

Follow me!

つぶやき

前の記事

逞しい人たちがいる
つぶやき

次の記事

公的サービスとは