岸田首相に期待するもの

芝居小屋の舞台から一番遠い席は「大向う」と呼ばれる。全体を見渡せるため、目も耳も肥えた芝居好きが集まる場所といわれている。江戸時代のことであるが、あまり日の当たらない道を歩んでいたある役者が、忠臣蔵の端役を演じるのに苦心して、全身を白塗りにして、さらにびしょぬりという度肝を抜く姿で舞台に現れた。静まり返った小屋で見つめていた常連客が大喝采を挙げたという。
国の指導者を決める選挙で、投票権を持たない国民はさしずめ大向うの客だろう。
岸田首相は困難の中に船出した。まずは、コロナ禍の対処と経済の両立はもちろん、対立を深める米中両国とどう向き合うか。そして拉致問題の解決。少子高齢化。地方の疲弊。等々離れた場所から、目も耳も肥えた国民が注視している。岸田首相は聞く力を持っているのが私の特技だと主張している。謙虚に国民の声に耳を傾ける姿勢は好感が持てる。しかしながら、政治家というのは政策を決定する場合、安易に民意に従ってよいのかとも思う。
移ろい易い民意、熱しやすい世論に距離を置き、過去と未来に責任を持ち、冷静な判断を下すことこそ政治家の本命だろうと思う。「民意に従う」「国民の判断を仰ぐ」ことが正しいなら、その案件は直接投票で決めればよいという事になる。ステレオタイプ化した世論、メデイアが恣意的に作り上げた民意は、人々の間で拡大生産されていく。政治家の役割は、こうした民意の暴走から、国家、社会、共同体を守ることは極めて重要なことである。
人類の知の歴史が明らかにしてきたことは、民主主義の本質は反知性主義であり、民意を利用する政治家を除去しない限り、文明社会は崩壊する恐れがある。なぜなら、あらゆる種類の複雑な問題について、一般公衆に訴えるという行為は、知る機会を持ったことのない大多数の人たちを巻き込むことによって、知っている人たちからの批判をかわしたいという気持ちから出ているからである。このような状況下で下される判断は、誰が最も大きな声を出しているか、あるいは最もうっとりするような声を出しているかによって決まる。民意の危険性というのはそうゆうものだろうと思う。
もちろん岸田首相のきく耳を持っているという事は、多くの国民の健全な意見を聞いて、この国をより良い方向にもっていこうとするためにという事なので、大いに歓迎したいと思っている。

 

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