豊かな農村社会を

戦国時代から幕末にかけての新田開発の件数を表した統計を見ると、17世紀は右肩上がりであったのが、18世紀に入ると明らかに下降線をたどっている。日本全国の耕地面積は、16世紀末に2百万町歩、18世紀初めに3百万町歩、19世紀後半には4百万町歩まで増えているが、18世紀には明らかに増加率が落ち込んだ時期があって、耕地拡大が停滞した。耕地面積の増加が鈍ると、おのずと人口も減ってくる。歴史人口学の研究によれば、日本全体の人口は、17世紀初めから18世紀初めにかけて約2倍の急増を示しているが、18世紀の前半から末にかけて、逆に4.5パーセント減少している。これはまさに現在と重なり、低成長時代の訪れという事になる。
低成長の時代を迎えて、農家の人たちがどのような対策を取ったのか興味あるところである。これは現代にも当てはまることであるが、農民は絶えず年貢の増加を意図する領主に対して、自らの取り分を確保するために、生産性を上げる数々の工夫を凝らした。当時を物語る農書に記されていることによると、小面積の農地で、より多くのものを生み出す努力へと、発想の転換を図っていく。農地や、農具の改良、二毛作の工夫、肥料の改善など、様々な努力の結果、単位あたりの生産量を飛躍的に増加させた。農書によると、「まさに農の益は計り知れない。物にはすべて限りがある。しかし農業は土地から物を生み出す物であり、やり方によっては限りがない」。
17世紀の段階では、一反当たり一石だったコメの収穫高は、18世紀以降、最大で二石までに増加している。農民の研究心の高さには感じ入るものが多くある。面白いことに農書の普及とともに、農村に浸透していったのが「読み書き」の能力の向上であった。人々は農書を読む力をつけるために寺子屋に通い、読み書きを学んだのである。
農書を読むことによって、科学的な農法を学び、あらゆる努力をして生産性を高め、自分の取り分を増やそうとしたのである。この精密な農業は農民に「知的」であることを要求し、積極的に生活向上のための「学び」に取り組み、読み書き、そろばんの能力を身に着けるようになる。
現代に置き換えると、右肩上がりの成長を続けた昭和はまさに「元禄」、その後の平成の低成長時代が「宝永」に当たるといえるのではないか。
現代の農業は後継者不足、農産物の価格の低迷、農地の荒廃等々、数々問題があるがそれまでの農業に対する思考の転換を図った徳川社会に、現代人が学ぶことがたくさんある。
さる6月にG20貿易・デジタル経済大臣会合がつくば市で開催され、大井川知事が得意の英語で、県農産物のPRを世界に発信した。本県農産物が世界中の報道機関に配信されたこは、本県農業にとって画期的な変化をもたらすものとして期待している。行政と農業者がこれからの農業を価値ある産業にして行くことによって、活気あふれる地域社会づくりを実現したいものと思っている。