葉隠れの心

「武士道精神」が、最近取りざたされている。世間がそうゆうものを、求めているからなのだろうか。 失言なのか、確信的な発言なのか、国会議員がまたも暴言を吐いた。「北方四島は、戦争しても、取り返す方がよいのか」と関係者に質問した。所属する政党からは、除名処分を受けて、なお、議員は辞職せずとツイッターで表明している。潔く議員辞職するのが筋だろうと、思うがそうはしない。聞くところによると、東大卒の元官僚とのこと。頭のいい人が、なぜ、こんなにも幼稚な失敗をするのかとあきれる。
葉隠れの作者である常朝は、「武士道というのは、死ぬ事と見つけたり」と言っているが、この言葉ほど誤解されている言葉も珍しい。常朝は、死ぬ事というのは、死ぬか生きるかという二つに一つの選択の場に立たされたならば、ためらうことなく、死ぬ方(不利な方)を選べと、言っているのである。そこに腹を据えて進めという事である。つまり、物事を判断して自分の態度を決める時に、利害得失を捨てよという事である。そうすれば、たとえ失敗しても、私利私欲のための失敗でないのだから、恥ではない。
日本人は、滅亡の美学、死の美学をもっぱら奉じてきた、珍しい民族だと云われている。人に抜きんでて生きようとする人間は、ある覚悟をしておかねばならぬと、教育されてきた過去がある。その覚悟とは、自分の名誉、矜持を守るためにも、正しく理解してもらうためにも、いざと言う時に、潔い死に方をするだけの、精神的訓練を自分に課しておかねばならぬという事である。
某国会議員の暴言は、重大な失言である。桜田五輪担当大臣や、塚田国交相副大臣の失言とは全く違う。
速やかに大失敗をしたことを率直に認めて、議員辞職して、再度国民の信を問う行動に出るべきである。

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