敬老の日

早くも9月である。 9月15日は「敬老の日」である。 何故、9月15日が敬老の日なのか、良く分らなかったのだが、どうやら、ことの起こりは放生会にあるらしいと、最近、知人に教えられた。 「店はなの吊りすっぽんや放生会 静雲」にある「‘あれ‘」である。 仏教の殺生戒に基ずいて、各地に残されている伝統行事がある。 亀や小鳥や鰻や鰌などを買い求め、この日、池や沼に放す。 養老年間、宇佐八幡のご託宣で始まったと記録にあり、仏教くさい行事なのに、不思議にも全国の八幡宮で盛んに、この催しが受け継がれており、特に京都の石清水八幡、鎌倉の鶴ケ岡八幡の放生会が名高い。
殺生しないことが、長生きに通じるという事らしい。高齢者に一日ぽっきりの親切デーといった認識で、これまでどうも好きになれない祝日の一つだったのだが、取ってつけたような理屈でも、とにかく9月15日はそんな訳があったと知ったのは、気分的にも悪いものではない。
高齢者と云われる人たちに共通した認識は、自分はまだ若いと密かに思っているようである。 だから年寄り扱いされることを、極端に嫌う人もいる。 しかしながら、現実の社会状況は、年々高齢者に対して厳しいものになって行っている。 年金、医療、核家族化、そして孤独死・・・・。 米寿の記念品を楽しみにしていた人や、金婚式の招待を待ち焦がれていた人たちが、廃止の報ににがっかりしていたのを見聞きしたりすると、それを聞くこちらもがっかりしたりする。
バスや電車で席を譲った、譲らないといった話はよく聞くが、しかしながら、一過性の親切心よりも、高齢者自身の心の中に、体が健康な間は、働き続けようという気力が、自然と漲るような、そんな密度の濃い世の中を期待したいものだ。 そうゆう私も後期高齢者の一人なのである。 しかしながら、毎日猛烈に働いている。 お陰で、認知症には今のところ縁がなさそうである。