自然との触れ合い

炎天の中、甲子園の高校野球は終わった。 秋田金足農業高校のさわやかな健闘は、全国の野球フアンの琴線に触れた。 それにしても今年の夏の暑さは異常だ。 いつ台風が来るか、集中豪雨があるかと不安が募る。 我が家の裏側の急斜面は、過去何回か、がけ崩れを起こした前歴がある。 したがって、九州や中国地方の豪雨による災害は、人ごととはとても思えない。 ところが数年前から、国交省と県によって、およそ600メートルぐらいに渡る範囲が、急傾斜危険個所に指定されて、現在、整備工事が進められている。 来年度で全て工事が終わる予定で、これで長年にわたる不安から解放されるとホッとしているところである。
崖地の上は畑であるが、ご多分に洩れず充分に手入れをされた状態ではない。 しかしながら、おそらく周辺を見ても、これ以上の景観はないと思われる程、見晴らしはずば抜けて素晴らしい。 筑波山をバックに、眼下には霞ケ浦が一望できる。今は季節柄ハスの花が見事である。 この素晴らしい景観を生かした環境の整備を、どうすべきか目下熟慮中である。
そのために周辺を、自分の足で歩いてみた。 埃だらけの道ばかりであるが、思いもかけない爽快な気分に、謀らずも浸ることができた。 炎天下の埃っぽい道を歩いて来て、飲んだ井戸水のうまさ。 足を洗い、身体を拭いた後の風の涼しさ。 ある時期までの日本人なら、誰もが経験し、思い浮かべる夏の日の記憶が甦った。
考えてみれば、日盛りの中を汗水たらして歩いて行くようなことがなくなった。 どこへ行くのにも車、それも冷房のギンギンきいた車だ。 道はむろん舗装してある。 のどが渇けば自販機のジュースを飲む。 便利になりすぎて、何か大事な物を忘れて来てしまったような気がしてならない。 自然との触れ合いから生まれる素朴な驚きや苦しみのあとの喜び。 そうしたものを体験したり、学んだりする機会が、以前に比べずっと少なくなってきている。 快適だからといって、人工的なさまざまな環境を作り上げ、それに慣れ、頼り切った生活をしていることにフッと気がつく。
人間も自然の一部であってみれば、自然のリズムに身を置き、その中で生きてこそ心身ともにリフレッシュできるのだ。 海風や川風の心地よさ、雲の流れ、蝉しぐれ、落日の荘厳さ、満点の星・・・・。 こちらさえその気になれば、自然はいつでも数え切れぬほどの豊かさで、その素顔を見せてくれる。 周辺の環境整備のヒントが、いくつもあった事に気がついた。 暦の上では8月7日は立秋であるが、夏の盛りはこれからか。