国民の安全を守ることとは

北朝鮮が米西海岸に届くと見られるICBM(大陸間弾頭ミサイル)を発射した。 射程8,000キロを超えるという。 米アラスカ州は優に射程に入り、米太平洋軍司令部があるハワイのほか、シアトルにも届くと考えられる。 核抑止力を米国に依存する日本は、まさに重大な課題を突き付けられたことになる。 もし、米本土を射程に収めるICBMが実戦配備されれば、米政府が自国への核攻撃で国民の命を犠牲にしてまで、同盟国を守るのかという問題が浮かんでくる。
トランプ大統領は「日米同盟は、米国にフエアではない」ということを口にしている。 これは経費の問題と思っている人が居るかもしれないが、そうではない。 日本が集団的自衛権を行使しないからと考えるべきであろう。 要するに平和安全法制の下でも、「存立危機事態」でしか、行使しないからである。 にも関わらず何を勘違いしているのか、多くのマスコミは「集団的自衛権の行使を可能にする安保法制」と報じ、トランプに対しては「暴君」のレッテルを貼って避難してきた。
国民の命を守るという事に対して、彼等はどうすれば守れるかという事を提示したことはない。 有事をどうするか示してもらいたいものだ。北朝鮮危機のなか、国会は4ケ月、森友学園、加計学園騒動で明け暮れた。これは国会論戦や政策論争ではなく国民不在、国家不在のまま無為に過ごしたのである。国民の生命財産の危機も国益も忘れ、言葉じりを捕らえて、政敵の足を引っ張ることだけしか頭にない連中なのである。
米軍が撤退するとなれば、自衛隊の装備は大増強しなくてはならない。 空母も持たなくてはならない。 米軍が撤退したとなると、沖縄の基地問題も解決するだろう。 しかしながら、万が一、核を持つ他国の侵略により、国家そのものが滅亡して、果たして日本人の義は残るのであろうか。 ローマは滅びた。 カルタゴも滅びた。 カルタゴなどは歴史的にその勇武は謳われているが、その勇武なる民は今何処にあるであろう。 一塊の土と化しているにいるに、過ぎないのではないか。一部マスコミと野党はこれらを、どう考えているのか聞いてみたい。