顔は語る

民主党の小沢一郎元代表の衆院政治倫理審査会への招致をめぐり、党内対立が激化してきている。最近の小沢氏の人相が、ずいぶんと悪く感じられるのは気のせいなのだろうか。目つきも悪くなったし、顔のしわもゆがんで見える。典型的な悪相の趣である。
小沢氏と言えば、かって若き幹事長として自民党をリードしていたときの、あの迫力に満ちた生き生きとした顔付きは頼もしくもさわやかであった。それに比べるとまるで同じ人とはとうてい思えない顔つきである。やっぱり後ろ暗いところがあるからなのだろうと想像してしまう。
かって、アメリカのリンカーン大統領が言っていたことを思い出す。リンカーンが組閣の人選で頭を悩ましていたとき、側近の一人が、あるやり手の人物を推薦した。しかしリンカーンは小さくかぶりを振った。・わけを聞くとリンカーンは
「顔がよくない」
「え?大臣を顔で決めるんですか」
「人間、若い間はまだ生な顔だが、四十を過ぎると、その人間の経験、思想、品様のすべてが第二の顔を作りはじめる。四十を過ぎた人は自分の顔に責任を持たねばならない」と言った。要するにその人が過ごしてきた人生が、顔に現れると言うのである。その通りだと思う。最近私は、四十以上の人と相対しているときは、意識してその人の顔を眺めるようにしている。そして、その人の人生を密かに想像することにしている。
しかしながら、かく言うおのれの顔が、人様にどのような印象を与えているのかは自分では知る由もない。
今、小沢氏を支持する中堅グループのメンバーが、岡田克也幹事長に盛んに抗議している姿がテレビに映し出されるが、気のせいか特に女性議員が口々に小沢氏の擁護を叫ぶ顔つきを見ていると、まるで宗教の信者のように何かに取りつかれているような顔に見えてしょうがない。
顔は、その人の過ぎてきた人生模様を如実に表わすと言うことは、常に謙虚で貪ることのない品性と、おのれの平凡に踏まえぬいた透徹した人生を歩むことなのだと思う。
顔は大切にしたいものだと思うこの頃である。

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