労働時間について

電通の新入社員の女性の過労自殺から、一年が過ぎて母親が報道各社に手記を寄せた。 大切な娘を失った母親の辛さに、同情を禁じ得ないし、心からの御冥福を祈る。 この死を機会に政府は長時間労働に厳しい法制度の創設を検討。 電通も午後10時過ぎに本社は強制消灯となったようだ。 しかしながら、サラリーマン経験者の我々には違和感を覚える。 昭和30年代に入社した時、日本は、まだ相当に貧しかった。 しかし当時の日本人は全てが、何としても、もう一度この国を素晴らしい国にするのだという意欲に燃えていた。 国民一人一人は、「自己のため、家族のため、社会のため」と懸命に働いた。 その総和が今に至る日本の豊かさを生んだと思っている。
現代の若い連中の、何人かなのだろうが、好きなことを仕事にしたい」等という人を時々見かける。 好きなことをして、銭を貰うなどという事は、都合がよすぎる話で、好きなことは銭を払ってするものだと思う。
人間の仕事に対する耐久力は、個人差がある。 人によっては、長時間労働に耐えられない人もいるだろう。 また一方では、長時間労働を、なんとも思わない人もいる。 その仕事が好きで、対価として収入が増えることを、この上なく望む人もいる、 また、困難な仕事を苦心惨憺の挙句、やっと仕上げて帰る時に、真っ赤な夕暮れの中の太陽を見たときの充実感を味わいたい人もいる。 要するに個人差があるという事だ。
そこを一律に制限してしまうのは、一種の「自由の制限」をすることになるのではと思う。 ひるがえって、昭和40年から50年代を思い起こすとき、一律で労働時間を制限していたとしたら、今日の日本の繁栄はなかった。 「みんなで手をつないで仲良く」等とやっていたら、世の中の発展が停滞するし、それによって各人の自由や権利を奪うことになってしまう。

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