政治家の言葉

先日の読売新聞の編集手帳に、国民に何かを知らせるときは、分りやすい言葉で説明する重要性が指摘されていた。 それによると徳川家康の家臣、本田作佐衛門の逸話であるが、役人が禁令を高札に掲げたが、読めないのか、領民は守ろうとしない。困った役人から相談を受けた本多作佐衛門は、漢文調を仮名書に改め、末尾に一文を添えた。 「これにそむくと作佐がしかる」。 以来、「国中、法令に背かず」と、「武野燭談」という古い書物が伝えている。
誰もが読めて、理解できる、そうゆう言葉の使い方を、いつの世にも政治家は心すべきことであろう。
小池東京都知事の、横文字好きは幾らなんでも度が過ぎるのではないかと思う。 都民フアースト、アスリートフアースト、レガシー、サステナブル、等々。 すべての日本人が、英語を良く理解しているとでも思っているのだろうか。 東京都知事の場合、特に今の時期は、全ての人にいうなれば木に近づいて、梅を見るような繊細な説明が求められているのではないだろうか。  私が知るかぎり、カタカナ好きの人物は、たいてい外国に対してコンプレックスをもっているか、自分に対して自信の待てない人かである。 その上、日本語の表現能力に欠ける人に多い。 小池知事のやり方は、オリンピック関連についてでも、パフオーマンスが過ぎる。 批判はわかるが、世論に訴える政治手法は、やり過ぎると同じ目的を持つはずの組織同士の協力が成り立たなくなる。 纏めようとするよりも、混乱を招こうとしているとしか見えない。小池知事がなぜか胡散臭い人物に見えるのは、そのせいだろうと思っている。 東京大改革などを打ち上げたが、何をどう改革するのか具体的でないから、我々にはさっぱりわからない。 もうパフオーマンスは、終わりにしてくれと言いたい。

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