親が子供に対する教育とは

凶悪な少年・少女事件が起こるたびに、「一体親は何をしていたのか」との素朴な疑問が浮かぶ。 新聞にレストランの中で走り回る子供達、それを注意しない親達という投書が頻繁に載る。 社会の規範や理念、善悪を教える「父性」の欠如が子供たちを壊しているのではないのだろうか。 理解不能な「モンスター」を作り上げたのは、我々大人の側なのだ。
かって日本の親達は、子供の教育に全力で取り組んだ。 何かで読んだのだが、伊藤博文親子の逸話がある。 伊藤博文が藩士の家に奉公していた時のこと。 父の十蔵が12歳の息子の様子をうかがおうと夜中に出向いてみると、家人は不在、博文は正座しながら留守番をしていた。 父の姿を見た博文は恋しさの余り泣き出し、すがりつこうとした。 十蔵は気持ちを察しながらも「汝、留守居の大役を引き受けながら、女々しく泣き叫ぶとは何事ぞ」と叱りつけ、そのまま立ち去った。
その後、別の家に奉公した博文。 大雪が降る中、主人から命じられた用事を終えて帰る途中に父母の家の前を通った。寒さに耐えかね、家に入って暖を取ろうとしたところ、母にこう言われて追い返された。 「主人より言いつけられし用向きをまだ済まさぬうちに、寒さを恐れて自分の家に立ち寄るとは何事ぞ」。 最愛の息子を抱きしめたかっただろうに、それでも突き放した母親。 「責任とは何か」 「我慢とは何か」 を徹底して教え込もうとした強い意志を感じる。
時に自由は堕落を生み、放任は、無気力を招く。 そんな心理をわきまえた本物の教育がここにある。 平成の世を闊歩する「友達親子」のような並列な関係では、とうていありえないエピソードだ。 山岡鉄舟は「財を積む、これを子孫に残す。子孫これを使って、身を誤る」と諭している。 我々は、子供の教育に対して、深く考えねばなるまい。

 

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