江戸の大人口

土浦市の人口がじりじりと減っているようだ。 かって茨城県の人口は、水戸市、日立市、土浦市が御三家だった。 当時の土浦市の責任者たちは、強引に土浦市を東京都の衛星都市として位置付け、工業団地や区画整理事業を積極的に行い、工場を誘致し住宅地を整備した。 したがって、優良企業の進出が盛んになり、その従業員が住宅を建て、住むようになった。 日立市は横ばいの状態が続き、土浦市が追い抜くのも時間の問題とさえ言われた時期があった。
しかしながら、近年この種の政策は全くとられなくなった。そのため、人口が増える要因は無くなった。 結果、人口がどんどん減り始めたということのようだ。
孟子は「民が豊かに暮らせるようにすれば、おのずと人口も増える」と説いた。 吉田松陰は「凡そ政は、戸口を増すを主とす」と言った。
その戸口(人口)を増す政治を実践したのは徳川家康で、まだ田舎の風情だった関東の地に幕府を開いた。家康は戸口を増加し、庶民が食べていけるようにと、江戸の町人には税を課さなかった。 やがて江戸は100万都市に成長する。
土浦市の今後の発展は、人口を如何にして増やすことを考えるに尽きる。 まだ間に合う。

Follow me!