それでも公僕

先日、マイナンバーの交付を受けるために、市役所の窓口へ行った時の話である。 相当高齢の夫婦が手続きにやって来た。 80代後半と見られる夫の方が、申請書に自筆で今日の日付を入れるように言われ、目が弱っているのだろう、悪戦苦闘しながらやっと書いた。 続いて身分を証明するものを要求されて、運転免許証のようなものを出して、OKとなったようだったが、80代後半の妻のほうは、身分を証明するようなものは持っていなかったようで、受付を拒否されて途方にくれているようであった。 手続きの正確を期すために、身分を証明するものを持参するというのは、規則上やっむを得まいとは思う。 しかしながらこの高齢の夫婦は、客観的にみて夫婦であることは疑いようもない。 本人と判断するのに難しい要素は何もない。 多分ここの夫婦は、自分で運転ができるほどの状態には見えない。 誰かに運転して連れてきたもらったか、タクシーなどで来たのではないかと思われるのである。 再度市役所に来るというのは、ものすごく大変のように思える。 それは二人の会話が、後ろの席にいた私の耳に入ってくるからである。
マイナンバーの交付に限らず、体が不自由でこられない人は、交付を受ける方法がないようである。 市の担当者によると、何が何でも本人が来ないとだめだと言っているのである。 市役所の仕事は、市民のために行うものである。 役所がやりやすいようにするものではあるまい。 客観的に見て、寝たきりとか、体に異常があって市役所に来られない人には、出向いて行くなどの方法を取ってもやるべきであろう。 行政とはそんなものだ、。市民の利便を図ることは、市の職員が真っ先に考えることなのである。 行政は最大のサービス産業のはずである。 この当たり前のことが忘れられているような気がしてならない。

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