常識的思考とは

原発も安保も反対という人がいる。 代案はほとんど出さない。 公共工事は無駄だという人がいる。 この種の人たちは、ほとんど例外なく、交通渋滞がひどい、狭い、でこぼこな道路で、車いすに適さない道路が多いと文句を言う。
無駄を省くのはいいが、一時、大騒ぎをした八ツ場ダムについては、相当な金をかけてきているのだし、こうゆうものについては、その計画だけは完成させて、そのあとについいてはどうするか、根本的に考えるのが経済的だろう。 そうでないとそれまで莫大な金をかけてきた巨大な金を、ドブへ捨てることになる。 原発も、将来的には「脱原発」に向かわざるを得ないと思う。 しかしながら、感情的ではなく、理性的に考えることが重要。 確かに原発には、最終廃棄物を処理できないという致命的欠陥がある。しかし太陽光、風力エネルギーなどですぐに代替えできるわけではない。したがって今使えるものは、事故を起こさないように積極的に使い続け、そのうち確固とした代替エネルギーを完成させて、暫時廃止に持って行くというのが実利にかなっている。 冷蔵庫の機能を効果的にするために、中の物を少なくしろと言われるが、だからと言って、入っている食料を捨てる人はいまい。
原発の恩恵を受けていないと、いい切れる人はあり得るのだろうかと思う。 「原発を廃止した後の電力は」と聞くと、当面、火力だという人が多い。 石炭やLNGだという。 一、二年前まで、落ち葉でたき火をしても、地球温暖化を促進させるとして、二酸化炭素の増加の防止に逆行するとして、焚き火まで子供にも止めさせている。 本当に困っているのは、農家の人たちで、畑での作物の後始末に燃やせないということは本当に困ることなのだ。 枯れ枝や竹や篠や雑草も、燃やせないということは、農業を止めるしかないということにもつながるほど、農家にとっては深刻な問題なのだ。 自分自身は全く痛むものがない、口だけの平和主義者たち、原発反対を言う人たちは、焚き火反対を叫んでいた人たちと重なる。 あの声の主たちは今どこへ行って、今度は何を言うのだろう。 願望と現実の区別のつかない鳩山氏みたいな人たちだ。

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