千差晩別

料亭などで手をたたくと、女中さんが来てくれる。 料理や酒の追加を頼むための作法なのだが、その音を聴く者によって、受け止め方がまったく違う。 分り安い話が、鯉は餌と聞き、鳥は発砲音だと勘違いして飛び立ち、お手伝いさんは主人にお茶を出すように指示されたと受け止める。 手を叩いただけなのに、その音を聞く者によって、受け止め方が千差万別なのだ。 国会議員の立法活動のために「立法事務費」が、各会派に交付されているが、政治資金収支報告書に記載されレいる場合もあるし、全く記載されていない場合もある。 千差万別である。 記載していなかった議員は、「報告義務がないので記載していなかった。今後は専門家と協議して適切に処理する」 などと説明している。 またある議員は「税金から政治団体が受けた収入であるから、当然記載すべきだ」と話している。
その結果が、ライザップに支払ったり、ガールズバーで会議をしたり、自分が開業している医院を政治活動の事務所にして、家賃をとったりしているのである。
我々が子供のころ、祖父母にやかましく「金は汚いものだから、金を持った手はすぐ洗え」と言われたのを思い出す。 小さい頃は、金は大勢の見知らぬ人が手で触るので、汚れているからきたないものだと思っていたが、そうではなく不浄のものだという意味を知ったのは大人になってからだった。 昔の日本の教育は、一般庶民をも、見事なまでの倫理感を身につけさせていたものだと思う。 それに比べ現代の政治家は、我々と同じ教育を受けて来ている筈なのに、なぜこうも違った方向へ行ってしまっているのだろうか。
政治資金のあるべき姿,本来の使用方法は、すなわち党運営や政策遂行上の諸経費であるべきだが、今回のように個人的欲望や趣味等に転用することは厳禁してもらわなければならない。
政治家の金の問題は古くて新しい問題だが、それにしても少し前までの政治家の中には、清貧に甘んじて井戸塀政治家と言われた人もいた。 今の政治家の多くが政治という職業に、身命を賭する覚悟がないのではと、思えて仕方がない。

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