平和とは

沖縄の米軍基地の移転問題で、反対運動が盛り上がっているようだ。 沖縄県民は本当に腹の底から反対なのだろうか。、民主党や共産党は、基地移転反対を鮮明にしているが、本気で言っているのだろうかと、疑問に感じて仕方がない。
今仮に微妙な勢力均衡を担っている日米安保を否定して、米軍を撤退させればどうなるか考えてみれば極めて分かりやすい。 南北朝鮮の現状を今にままにして、沖縄に米軍がいなくなった場合、沖縄という中継基地がなくなった朝鮮の米軍は、孤立してその力を失ってしまう。 そして朝鮮半島における勢力均衡は崩れ、軍事力に勝る北朝鮮による武力統一を妨げるものは、北朝鮮の自制だけとなってしまうのではないのか。
戦争は絶対に起こしてはならないという思いは、民主も共産も同じだろう。 それなのに中国や北朝鮮が日本に対して実際にミサイルを撃ち込んだきたらどうするのか、国内の安全保障論議では空疎な議論が続いている。
紀元前250年ごろまで遡るが、海洋貿易国家として栄えた「カルタゴ」という国があった。第2次ポエニ戦争で敗れたあと、経済一筋の経済大国として戦後目覚ましく復興を遂げたが、ローマに経済脅威として敵視されるようになる。 やがてローマ軍に侵略されて破れ、すべての国民は殺され、二度と国家の再建が出来ぬように、大量の塩を撒かれて草も木も生えぬ不毛の土地にされたという歴史がある。
平和ボケしたカルタゴの国民は、軍事を軽視したのである。
我が国の現状とあまりにも類似していると思うのは、私だけではあるまいと思う。 賢者は歴史に学ぶ。 平和を望むのであれば、日米同盟は最も有効な抑止力なのである。 沖縄県民は人一倍平和を一番望んでいるはずと思うが、米軍基地反対の盛り上がりは、国家の平和と反対の方向を目指すことになると思う。
平和国家を望んで、平和ボケしてしまったカルタゴを、他山の石として安保法政を議論してもらいたい。

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