既成概念

産経新聞のソウル支局長が、朴大統領に対する名誉棄損で訴えられ、その公判が始まったようだが、支局長を乗せた車に生卵を投げつけたりして、通行の妨害をしている韓国国民の記事が大きく報道された。 韓国においては、報道の自由に対する考え方が先進諸国との間と、大分違うようだが彼らの基本的な考え方は日本憎しなのだろう。 日本が韓国を併合したことに対しての恨みなのかは知らないが、国際常識の欠如が甚だしいとの一語に尽きる。 日本固有の領土である竹島を、自国のものだと言い張っていることや、仏像盗難事件に対する彼らのやり方もすべて同じだ。 要は未成熟な国民が多いということだ。
中国も反日教育が徹底しているようだが、中国からの日本を訪れる旅行者は増えるばかりだ。 政治と旅行は別だということらしい。 しかしこのような反日教育というのは、それを受けた子供たちは、その教育が頭の中に刷り込まれてしまい、将来、日本にとって大きな問題をはらんでいる。
吉良上野介といえば、忠臣蔵の芝居以来憎まれ役、敵役の代表となってしまったが、地元の人に言わせれば名君だったという。 一方同じ名字の吉良の仁吉は、侠客として映画、テレビ等では評判が良いようだが、こっちはただの暴れん坊のやくざに過ぎなかったらしい。 
かの有名な巌流島の決闘も、双方助太刀無用との約束にもかかわらず、武蔵は数名の弟子を連れていき、武蔵の一撃で倒れた小次郎を、息を吹き返したところを寄ってたかって、殴り殺したという、決闘の事実を記した古文書が発見されたことがあって、我々の知るところとなった。 我々が吉川英治の小説から描いていたイメージとはだいぶ違うようである。
思うに人間は、新事実に接しても、いったん頭の中に叩き込まれた観念を変えるということは、中々出来ないものである。 特にその事実が、自分にとって都合の悪いものであったり、過去の成功体験に反するような場合は「変えたくない」という意識が働いて、ますます困難なものになる。人間年をとるに従って、頑迷固陋になっていく所以である。 
これが上野介や武蔵の評価程度であれば、大した影響はないが、国際関係になるととんでもないことになる。 子供達が大人になった時、中国と韓国とわが日本はどうなっているかと思うと心配である。 中国、韓国の反日教育を、どう転換させか非常に重い課題であろう。
あと一か月後には新年を迎える。 来年こそ、心を鍛え、心を新たにして、柔軟な発想と豊かな感性を磨く元年としたいと、少し早過ぎるがそう思う。

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