土浦の誇り(2)

 土浦市にある教育に関する文化財の代表的なものの一つに、土浦第一中学校の正門として、現在も使用されている土浦藩校郁文館の正門がある。 当時から土浦藩の土屋氏は、好文好学の大名として知られた存在だったようだ。 土浦藩初代の土屋但馬守数直、二代相模守正直もその例にもれず、好文好学の大名だった。 数直は兵学者として有名な山鹿素行について学んでいるし、2代藩主正直も新井白石について学んでいる。 特に正直はその博識故に、五代将軍徳川綱吉の厚い信任を受けているのが特筆される。
土浦藩校郁文館はこうした背景により、1799年7代藩主土屋英直の時創設された。 館名「郁文」は論語の「周は二代にかんがみて、郁郁として文なるかな」からとられており、学問教育が盛んな様子を意味するものである。 郁文館は、文武館とも呼ばれ、文武両道の教育が行われ多くの優れた人材が輩出された。 山村才助、色川山中はその代表的な人物である。 山村才助は江戸時代における世界最高と言われた地図を、1802年に完成させているし、色川山中は古文書の蒐集、筆写、校合につとめ多くの古文書の編纂を成し遂げている。
土屋家は大阪城代、京都所司代と幕府の重職を歴任し、さらに老中を務めている天下にまぎれもない名家なのである。それも好学の藩主として幕府に重んじられていたからであり、土浦市の大きな誇りと云っていいだろうと思う。 我々は、こうした土浦の歴史を知り、それを生かすことが街造りの基本になることに思いを致すことが重要だろうと思う。

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