尖閣危機をどう考えるのか

東京都議会でセクハラまがいの野次が物議を醸しているが、そればかりではなく、最近、特に県や市町村議員の行動に頭を捻らされることが多々ある。 我が国が、今、戦後最大の危機に直面していているのが理解できないのかとさえ疑ってしまう。 
今はあらゆる面で、国力強化策を実施し国民や国家の安寧を確立しなければならないにも拘らず、集団的自衛権の行使容認に、踏み込まない政治家の感度の鈍さには、今更ながら驚くばかりだ。 眼前の世界で何が起きているのか。 19世紀から20世紀前半の、軍事力に物を言わせる帝国主義に、ロシアも中国も向かっていると思って間違いない。 このような国際情勢の事実を直視することもない議員たちは、勉強不足なのか、理解力の欠如なのか分からないが、いずれにしろ「言語同断」と言っていいだろうと思う。 中国公船が尖閣沖で領海侵犯を繰り返し、東シナ海上空では、中国軍機が自衛隊機に異常接近をしている。 まさに一触触発の危機的状況で、一刻も早く集団的自衛権の行使容認を閣議決定して、日米同盟の抑止力を明確に国の内外に示すべきであるのは、火を見るよりも明らかなのにである。
東シナ海の公海上で自衛隊機を、中国軍の戦闘機が異常接近した事件は、明らかな威嚇であり、平時にあっては絶対に考えられない暴挙だ。 集団的自衛権のない自衛隊が絶対に攻撃してこないと見切った行為である。 小野寺防衛相は、脅しの要素を含む極めて悪質な行為と外交ルートで抗議したが、中国側は自衛隊機の方が接近したと発表している。
南シナ海ではベトナム船との衝突事案に見られるような中国のやり方は、漁船同士と漁船と公船の衝突というレベルではなく、軍レベルの衝突の可能性を秘めた事案と見た方が適正であろう。 一歩間違えば大事故につながりかねず、本格的な紛争に発展する可能性すらある。 したがって、不測の事態を回避するための枠組みの構築が、喫緊の課題であろうと思う。
集団的自衛権について、すぐ戦争に巻き込まれるかのような見当違いな意見を言う人がいる。 集団的自衛権を含む軍事手段は、現実には行使に移る前に、危機終息のための外交上の努力が傾注されることは当たり前だ。 その実際に行使する事態を極力避けようとする姿勢にこそ、政治上の知恵や慎慮がある。 そうした政治上の努力の「知恵」や「慎慮」の意味を無視している意味においては、これらの考え方にとらわれている人たちは、思考停止と知的怠惰に陥っているとしか思えない。 
今朝の新聞にも、集団的自衛権行使について反対の意見書の提出を、賛成多数で決定した某市議会の記事が掲載された。 いったいこの人たちは、日本の安全をどう考えているのか、お粗末の限りである。