国会の議論から

 国会での与野党の論戦を見ているとまず不満なのは、率直な議論とユーモアが決定的に不足しており、野卑な言動ばかりが目立つ。 特に特定秘密保護法案や消費税の議論を見ていると、市民や消費者、労働者、国民、各種団体といった目に見えない集団におもねり、その力の前に平身低頭していると思われても仕方がないような印象を受ける。
こうゆうものを連日のように見せられていると、今日の日本でそもそも 「政治」 なるものが、成立しうるのかという疑問さえも感じられてならない。 
最近、「国民の目線」とか「民意」なるものが幅を聞かせている。 しかしながら「国民目線」とか、「民意」なるものは明確なものではない。 せいぜい世論調査の結果ぐらいのものである。 しかも、今日の大きな政治的論点について国民が、たしかな「民意」を形成すると期待することは不可能に近いと言わざるを得ない。 したがって、政治家は、大きく民意からそれることは不適切だとしても、短期的な局面でいちいち民意によって動く必要は全くないと思われる。 ところが現在の政治家たちは「民意」こそすべてと思っているらしく、 「民意」を政治に反映することだけが政治のテーマとなってしまっているように思える。
政治家の基本は「民意」を動かすのが仕事であろうと思う。 「民意」を本当に反映する政治ばかりを行っていたら、政治は「民意」とともに、極めて不安定に漂流してしまう。
今日のような大衆化した社会では、「民意」は情緒とスキャンダルと映像的な効果によって大きく動いてしまう。 今日の政治課題は、民意が反映されていないことではなく、政治を「民意」に置き換えることで、政治家が政治から逃げている点にある。 政治とは政治理念を打ち出して、それこそ「民意」を動かす指導行動である筈だ。 
民意をめぐる争いは、政策論争よりもイメージと、人気の争奪戦になってしまい、国益を失いかねない恐れが、生じつつあると思われる。

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