東京オリンピックで男子マラソンの金メダルを見たい。

 オリンピックの花はマラソンであろう。 それも断然男子マラソンである。 しかしながら、女子は高橋尚子、野口みずきが金メダルに輝いたが男子はメダルに届かない。 それにしても我々年代の男たちにとっては、瀬古選手の金メダルが見たかった思いは強い。 何故なら、瀬古選手の全盛時代には、彼が負けるということを考えたことはなかった。 走れば必ず勝つと思っていたし、実際その通りであった。
特に印象に残っているのが、第18回福岡国際マラソンでの、タンザニアのイカンガーとの一騎打ちでの見事な勝利が、今でも強烈に印象に残っている。 当時の新聞に次のような記事が出ていたのを思い出す。 
瀬古は最後の百メートルを12秒で走った。 4万2千メートルを走り続けてきて、なお最後の百メートルを12秒で走る力が残っているとは、いったいどうゆう体の構造なのだろう。 
私も高校時代にちょっとの間、陸上競技の短距離の選手をつとめたことがある。 素人が百メートルを13秒で走ったら、相当に早い方である。 私は13秒の壁は最後まで破れなかった。 したがって瀬古の強さが身に染みた。 
福岡国際マラソンでの瀬古の優勝は、決して奇跡の逆転、起死回生の逆転ではないという。 計算された逆転であり、逆転を前提にした勝負の駆け引きなのだという。  マラソンは42キロ余を速く走り切った選手が優勝するという単純なものではなく、40キロあたりまでは先頭集団に生き残るための死闘が続く。 そして生き残った者が最後の数キロ、あるいは数百メートルで勝負を決める。 この競り合いに耐えた者が勝者になる。 そうゆう過酷な戦いなのだと思う。 
逆転を生むものは第一にトレーニング、第二に底力、第三にはギアを切り替える勝負勘のようなものがあるのだという。 
7年後の東京オリンピックには、第2の瀬古選手が現れるのを楽しみにしているのは私だけではない。 すべての国民の夢である。 ぜひともその夢を味わいたいものだ。